今週のお品書き

  もう一度、親子に戻ろうよ

 お父さん、先日はお世話になりました。とても楽しかったです。
 6年ぶりに会ったお父さん、ずいぶん白髪が増えましたね。シワも多くなったみたい。だけど優しい笑顔はそのままで安心しました。久しぶりだから、ちょっと恥ずかしかったな。なにから話せばいいのか、どんなことを聞いたらいいのかって。6年の空白は簡単には埋まりませんね。

 あの時のことはまだよく覚えています。小学校6年の春休みでしたね。私は風邪をひいてベッドの中。お母さんは庭で洗濯ものを干していました。体調が良かったのでしょう、気持ちよさそうにハミングなんかして。それを子守唄にして寝てしまった私。

 近所のおばさんに起こされて、初めてお母さんが大変なことになっていることを知りました。私が寝込んでいる間に、お母さんが庭で倒れてしまった。すぐに救急病院へ運んで緊急手術。近所のおばさんたちがお父さんの会社に連絡してくれたけど、夜勤明けで帰ったとのこと。必死になり、お父さんが立ち寄りそうなところを探してくれました。でもどこを探してもいなかった。それもそのはず、夜勤明けをいいことに、仲間たちと花見を兼ねて酒盛り、賭け事をしてた。ようやく見つけ出して連絡。ベロベロに酔って病院に駆けつけたときにはもう遅かった。病弱なことを知っていながら、無理なことをさせて死なせたって、泣きながら叔父さんがお父さんを殴ったね。私も殴りたかったです。「お前なんか父親じゃない。ただの酔っ払い、ギャンブル狂いじゃないか」って。

 お母さんのお葬式が済んでから、お母さんの実家である九州の祖父母の元へ。それから6年が過ぎました。私にはお父さんなんかいない。そう自分にいい聞かせてきたし、お爺ちゃんやお婆ちゃんからも言われ続けてきました。お父さんに対する憎しみで自分を支えてきたようなものです。お酒、ギャンブルから手を引いたということは叔父さんから聞きました。だけどそれでも許せなかった。

 お母さんが残した日記を見てからです、お父さんへの気持ちが変わったのは。私が知らないお父さんがその日記には書かれていたから。お酒とギャンブルが好きだけど、誰にも負けないほど優しい人だったんですね。お父さんに対するグチや不満は一言も書かれていませんでした。お母さんはなんて不幸な女なんだろうと思っていたけど、とても幸せだったのかも知れない。

 東京の大学に進学することにお爺ちゃんやお婆ちゃんは反対しなくなりました。そしてお父さんに会うことも。もし大学に入学できたら、都会での生活アドバイスお願いします。そして夏休みには久しぶりにお母さんに会いに、一緒に九州に帰りましょう。(2010年12月5日)

親父 48歳・タクシー会社
娘 18歳・高校3年

今週のお品書き

  獣医師を目指すよ


 お父さん、中学の入学祝いが届きました。ありがとう。とってもかわいいハムスターだね。弟ができた感じ。ちゃんと責任をもって育てます。

 うちはアパートだから動物は飼えない。それは分かってる。でも飼いたかったんだ。猫でも犬でも。何度か捨て猫を拾ってきたけど、そのたびにお父さん怒って、保健所にもっていったね。悲しかったよ。保健所に連れていかれた猫や犬がどうなるか、友だちに聞いて分かっていたから。だからお父さんはなんて残酷な人間なんだろうと思った。お父さんなんか死んじゃえとも思った。顔も見たくなかった。

 公園で暮らしているホームレスのオジさんが、猫を何匹も飼っているんだ。このオジさんオイらと友だちだよ。お父さんのこと嫌いだっていったら怒られたよ。「お父さんが正しいな。アパートで猫を飼ったら、お前たちアパートから追い出されるし、猫をそのままほったらかしてたら、ノラ猫になって猫もかわいそうだろう。それよりも天国に送ってやるほうがいいさ。それよか、お前が大人になったら、猫も犬も幸せに暮らせる社会を作ってくれよな。ついでにオジさんのようなホームレスも幸せにしてくれよ」って。

 オイらさ、中学と高校を卒業したら、獣医学部のある大学を目指そうかなって思ってるんだ。そしてもし金持ちになったら、全国で捨てられた動物たちを集めて、オイらのように動物たちと暮らせない人たちのために、宿泊施設を作るんだ。ホームレスのオジさんは管理人。お父さんも退職したら手伝ってほしいな。

 お父さん、本当は動物が好きなんだね。お父さんが小学校のときに書いた作文、お母さんが見せてくれたよ。大事に育てた鶏なのに、家が貧乏だったから売らなきゃなんなかったんだね。売りに行く日、鶏を抱いたら、とても温かくて、抱いたままずっと泣いていたんだってね。だからもう二度と動物は飼わないって決心したんだね。その作文読んで、オイらも泣いちゃった。

 もう登校拒否なんかしないよ。オイら学校に行ったら、猛勉強しなきゃなんないからさ。ガンガン勉強しないと獣医の大学なんて無理だもんね。ホームレスのオジさんとも約束したしな。

 それよかお父さん、仕事のほう、無理してない? たった一人で福島の工場に転勤したけど、本当は心配なんだ。お母さんが電話するとほとんど留守だからさ。残業多いんだね。ちゃんと食事してる? 寂しくない? 今度のゴールデンウィークには、お母さんと一緒に遊びにいくね。そして学校のこととか、勉強のこととか、獣医になる話なんかするよ。だからオイらのことは心配しなくていいよ。お父さんこそ頑張れよな。(2010年12月12日)

父 45歳・化学肥料メーカー
息子 13歳・中学1年





今週のお品書き

  運転免許、ようやく取得したよ

 お父さんへ。これまで心配をかけてきた運転免許、ようやくのことで取得することができました。お父さんの励ましがなかったら、多分、挫折していたと思います。ありがとう。


 「この就職難だから、運転免許のひとつもないと、就職できないぞ。それに免許を取ればなにかと便利だから、若いうちに取っておいたほうがいい」。大学を卒業して2年経つのに、まだ就職先が決まらず、フリーターの私を心配してくれたお父さん。それなのに「運転免許で就職が決まるなら、誰でも就職できてるよ」と、言い返した私。だけど結局、渋々ながら教習所に通うことに。


 正直、辛かったです。運転が。通い始めてその日に運転だもの。もうパニック。それでも少しずつ慣れてはいったものの、運動神経、反射神経の鈍い私は、毎日教官に怒られてばかり。教習所が終わるとバイトする気力も無くなり、食欲も減退。だけど、教習所でできた友だちと励まし合いながら、なんとか通いました。

 いよいよ仮免の日。なのに緊張のあまり脱輪して不合格。そして二度目も同く不合格。友だちは第二段階に進んだというのに。もう情けなくて、悲しくて、辞めてしまおうかと思いました。そしたら「免許というものは、早く取ればいいというもんじゃないよ。しっかり覚えることが大切なんだ。体が覚えるまで諦めちゃいけないよ」と、慰めてくれたお父さん。その一言で立ち直れました。

 中学を卒業後、自衛隊に入隊して運転免許を取得したお父さん。それからはずっと長距離のトラック運転手として私たちの家庭を守ってきてくれましたね。だけどそんなお父さんを、長距離トラックの運転手という仕事を、私は軽蔑していました。休みには一日中寝てばかり。テレビはいつも下らない番組を見ては馬鹿笑い。なんて教養のない父なんだと。

 教習所に通って、運転してみて分かりました。運転がどれだけ神経を使うものかを。どれだけ危険なものかを。それなのに20年以上も無事故、無違反のお父さんって凄い。張り詰めた神経を休めるには、好きなことをして過ごすのが一番だよね。なにの私って、文句ばっかり言って。

 卒業検定も二度不合格。でももう落ち込まなかった。未熟なまま運転することがどれだけ危ないのかを教えてもらったから。そうしてようやく免許取得。大学に合格して以来の嬉し涙を流してしまいました。これまでの不合格も私にとってはいい薬。国立大学を出たという変なプライドを捨てることができたしね。それとお父さんの忠告「運転のコツは焦らず、慌てず、他者に優しく」。これは人生においても同様のことが言えるよね。お父さんってやっぱり凄い。(2010年12月19日)

父 長距離ドライバー:53歳
娘 フリーター:25歳






今週のお品書き

 可愛い息子には苦労をさせよ

 親父さん、お元気ですか。先日、妹からのメールで、腰痛が次第に完治しつつある事を知りました。お袋さんの介抱と温泉療法の賜物でしょうか。いずれにしろ、長年の苦しみから解放されそうでなによりです。

 長年の苦しみからの解放といえば、弟の借金返済も今年で完済しそうです。友人、知人から事業を興すために借りた資金が一千万円。しかし経験不足、見通しの甘さなどから事業は数ヶ月で破綻。弟にとっては大借金だけが残ってしまいました。

 心配したお袋さん、僕ら兄弟、親戚たちが「用立ててあげるから」と申し出たのにもかかわらず、親父さんだけが激怒「用立てた奴とは縁を切る」と、親戚中にも触れ回りました。自分の可愛い息子が窮地に立たされているのに、なんて冷たい父親なんだと誰もが思ったものです。

 親父さんにとって孫のような弟は、目に入れても痛くない存在でした。子供の頃から大事に育て、高校、大学時代はアメリカに留学させ、留学中に興した事業にも援助を惜しみませんでした。しかしどれも長続きせずに失敗。尻拭いはすべて親父さんが責任を負ってきました。日本に戻ってきてからもこんな調子。正直、僕ら兄弟も弟の行く先には不安を抱いていたのですが、ここに至り、親父さんも堪忍袋の緒が切れましたね。

 家族、親戚が揃った前で「どんな馬鹿な人間でも失敗から何かを学ぶものだが、あいつは何も学ぼうとしない。人生の割合は苦労、悲しみ、悩みが七割。喜びと幸せが三割からできているもの。だが、このままではあいつは若くして喜びと幸せを使い果たしてしまう。だから今後は苦労、悲しみ、悩みを背負わせる。誰も手助けは無用」と宣言。全員が黙って弟の生活を見守る事にしました。

 坊ちゃん育ちがどこまで耐えられるか、こちらとしても心配のし通しでしたが、人間、追い詰められると強いものですね。アメリカ留学時代に築いた人脈を頼り、外資系の会社を幾つか渡り歩き、しっかりと経営のイロハ、ノウハウを学びつつ借金も返済していきました。その調子の良さといったら。僕から見れば、とても苦労、悲しみ、悩みを重ねているとは思えないのですが。

 まあ、それもいいでしょう。借金が無事に返済し終えたら、我が社に迎えてもいいという親父さんとの約束でしたから、そのうち弟に会いにいってきます。現在の我が社も他社と同様、厳しい経営環境が続き、雰囲気は決して明るくありません。そんな雰囲気を弟の明るさ、気楽さ、バイタリティが打破してくれるかも知れませんからね。同時に相談役として、今後も厳しいご意見、批判などを、故郷からお送りください。(2010年12月26日)

父 75歳:中小企業相談役
息子 45歳:中小企業社長