今週のお品書き
  オッサン、こんな俺だけどヨロシクな


 オッサンの事、これまではどうしても親父とは呼べなかった。
 本当の親父が交通事故で亡くなったのは、俺が小学校の2年生のときだった。親父の突然の死を、小学生の俺が理解できるはずもないし、受け入れられるはずもなかった。仏壇に飾られた、笑顔の写真に向かって、「早く戻ってきて、一緒に遊んでよ」と、毎日のように泣きながら訴えたものだった。

 それから数年後、オッサンが現れた。「おお、ずいぶんと大人になったな」と、気安く頭をなでたのにはムカついた。「お前、どこの誰だよ」って。「今日から親父と思ってくれ」と言ったときには、オッサンよりもお袋を殴ってやりたかった。「死んだ親父の事をもう忘れたのかよ」と。それからはオッサンともお袋とも、ほとんど口をきくことはなかった。

 ワールドカップで日本中が盛り上がっているときに、俺と同じひねくれ者の親友と、東北の旅に出た。来年の春にはお互いに社会人だ。一足早い卒業旅行も兼ねていた。

 恐山に行ってみた。死者を呼んでくれるというイタコのお婆さんを紹介してもらい、親父を呼び出してもらった。津軽弁が理解できなかったが、要は「お前の事が心配で心安らぐことができない。早く一人前になって欲しい」というものらしい。

 恐山から下りて港町の旅館に宿泊した夜、不思議な夢を見た。オッサンが乳母車を押している。乳母車のなかには赤ん坊の俺がいた。オッサンの後ろからは親父とお袋が微笑みながらついてくる。俺を空に向かって抱き上げる、俺に頬づりするオッサン。そしてそんな光景を、若い母親と5歳か6歳ほどの男の子が、羨ましそうな笑顔を浮かべて見ていた。

 旅行から戻り、「もしかしたら」と思い、オッサンのアルバムを勝手に見せてもらった。そして見つけた! 乳母車を押し、赤ん坊の俺を抱き上げ、頬づりしているオッサンの写真を。お袋にオッサンのすべてを聞いた。親父とは幼馴染み。オッサンのほうが親父より早く家庭を持ったが、奥さんと子供を交通事故で失ったこと。そして俺を自分の子供のように可愛がってくれたことや、外国で暮らしていたことなどを。夢に出てきた若い母親と子供は、亡くなったオッサンの奥さんと子供、俺にとっては義理の兄さんだったんだ。

 亡くなった親父や、オッサンの奥さん、義理の兄さんにまで心配をかけている俺はやはりガキだ。だけど今度の一件で、ガキから大人になりかけたような気もする。生きている人たち、亡くなった人たちにも俺は支えられ、見つめられているんだと。
ようやくオッサンのこと、親父として向かい合えそうな気がしてきた。(2011年2月6日)

親父 57歳:地方公務員
息子 23歳:大学4年生




 変われないお父さんってトホホだね

 父親とは、そして家族とは何かを考えて欲しい。そのため別居します」宣言(1999年5月号)をしてから、3年が経ちました。

 お母さんから別居宣言を言い渡されたとき、「上等じゃないの。久しぶりの独身生活が謳歌できる」と強がったのは初めだけ。炊事、掃除、洗濯がどれだけ大変か、一週間で思い知ったようで、早くもギブアップ。

 仕方ないので私だけ家に帰ったのはいいけど、私の有り難さに感謝したのは数日だけ。すぐに「あれやれ」、「これやれ」、「なにやってんだ馬鹿」の命令口調で昔のお父さんに逆戻り。何の反省もしていないことに私もキレて、「二度と戻らん」宣言。こうして必要連絡事項のみ、電話で会話する家族関係が半年ほど続きました。

 外食、深酒、運動不足、ストレスなどが重なり、緊急入院したときは、「もうそろそろ帰ってあげてもいいかな」と、女ども三人は考えたのですが、退院後の言動からはやはり反省が見られず仕舞い。月一度の家族全員での食事会、年に一度の旅行会で、親睦と話し合いの場を設けているけど、主役は常にお父さんだし、話が噛み合わないもんね、未だに。

 まったく変わらないお父さんに対して、私たち女どもは変わりましたよ。なかでもお母さんは激変しました。なにしろお父さん役も兼ねているからね。怒るときはお父さん以上に怒るけど、適切なアドバイスはするし、励ましも忘れません。私たちの苦情も最後まで聞いてくれるし。そのせいかパート先のストアーでは売り場主任に抜擢され、バイト連中の教育係も兼ね、店長さんからは絶大な信頼を得ているんだよ。

 妹も大学での勉強とバイトを両立させてます。ゆくゆくはカナダに語学留学するつもりのようです。留学費用はもちろんお父さん持ち。それは当然の義務だからね。私も正社員目指して今は契約の身分。嫌味なオジさん、すぐ怒鳴るオジさん、セクハラめいたことをするオジさんたち相手に、メゲることなく頑張っています。この点だけはお父さんに感謝です。反面教師というか、お父さんに鍛えてもらったから。いずれにしても、私も含めて女どもが男性を見る目、それが鍛えられたのは確か。

 「世間体が悪い」「家事は女の仕事」「孤独で寂しい」「生活費は誰が出しているんだ」などなど、お父さんが私たちに求めていること、文句には女どもガッカリ。家族として平等であるのか、家族が困っているときに何ができるのかを常に考え、相談し合い、話し合い、笑い合え、泣き合える、それらができるかどうかをお父さんに求めているのに。お父さん、もうしばらくは補習だね。(2011年2月13日)

父 会社経営:53歳
娘 事務機器メーカー:24歳





今週のお品書き

  モテ男になりたいっ!

 元気ですか、親父さん。腰痛は治りつつあるのかな。医者のアドバイスを無視し、無理を押して剣道やら釣りやら、好き勝手な事するから余計に痛めるんだよ。歳なんだし、もう少し自分を大事にしないとさ。

 そういう俺も実はちょっと情けない状態にあります。実は失恋しちまった。ようやくそのショックから立ち直りつつあるんだけど。

 それにしても今回は参ったよな。結婚相談所を通じて8人目の相手にも逃げられる俺って一体・・。相談所の担当者も「一流の大学を出て一流の企業に勤め、年収だって同年代より上なのに、どこが不満なんでしょうか」と、前にも何度か聞いたような、妙な慰め方をしてくれる。

 そうだよ、自慢するわけじゃないが、見た目だって悪くないと思うよ、俺って。身長だって180センチ、筋肉質のナイスボディで、ブランドもののスーツがよく似合うし、顔だって「タレントさんですか?」ってよく聞かれるもん。こんな俺のどこが悪いっていうの? 世の女性達よ。

 やっぱ、俺のこんな性格だろうね、何十回も振られる原因は。お調子者で、見栄っ張りで、自信過剰、しかもよく喋るからな。でも会社じゃ、こんな性格が営業向きってことで上司からは可愛がられ成績も優秀。接待や合コンなんかでも場を盛り上げる「宴会部長」ってことで重宝されてるんだけど、女性と二人っきりになると、うるさいだけの男という低い評価に転落だよ。

 俺だって、好きでこんな性格になったんじない。親父さんの影響が大きいと思う。昔から苦虫噛み潰したような顔で、滅多に笑わず、お世辞のひとつも言えない堅物の職人。後継ぎということで兄貴は小さい頃から厳しい修行を強いられた。俺はというと、ほとんど放ったらかし。長男が堅物なら、次男の生きる道は軟派でも半端でも構わないだろうと、ただひたすら明るく賑やかな性格作りの修行。おかげでお袋さんや姉貴、妹ばかりか、親戚や友人からも「お前の将来は吉本興行に決定だな」とかおだてられ、明るく軽薄な性格にますます磨きがかかった。

 親父さんがもし「馬鹿な真似はよせ。男ってもんは滅多にチャラチャラ、ヘラヘラするもんじゃない」と、俺が物心つく頃にでもビシっと言ってくれさえすれば、今の性格にはなってないはず、だと思うよ。

 今さら責任転嫁でもないか。こんな性格だから駄目なんだな。ああ、もうすぐ三十になろうって男が情けなかとよ。ありのままの俺でいいという女性が現れるのを待つか、それとも性格を改造して女性に合わせるか、どっちがいいんだろう。説教抜きでアドバイスお願いします。(2011年2月20日)

親父 宮大工:61歳
息子 総合商社:29歳



今週のお品書き

  セブン、天国から私たちを見守っていてね


 愛犬のセブンが亡くなって、もう三ヶ月だね、お父さん。セブンの事を思い出すと悲しくなるから、我が家ではセブンの名前を口にするのはタブー。だけど家族全員いつも元気がなく、悲しい顔したまま。仕方ないよね、あんなに可愛い奴、どこを探してもいなんもん。でもさ、いつまでもこんな状態じゃ、セブンは決して喜んじゃくれないよ。

 お父さんもお母さんも仕事、仕事で、いつも私はひとりぼっちだった。たまに家族がそろえば、どうでもいいことで口げんか。そんなお父さんとお母さんが嫌で、私は二人によく反発したり、プチ家出もした。そんな家族バラバラのときにやってきたのがセブン。お父さんの同僚が外国に赴任するから、二年間だけの里親。

 大きな黒い瞳のパピヨン。オス。三歳。初めて会ったとき、蝶々というより、天使に見えたよ。背中に翼が生えているんじゃないかと探したくらいだもん。可愛い弟ができて私は明るくなった。毎日がハッピーだった。雨だろうが風だろうが、朝晩の散歩が待ち遠しかった。勉強疲れや学校での嫌な事も、セブンを抱くとすぐに忘れられた。悲しい出来事に流した涙もセブンはペロペロ拭いてくれたっけ、「元気出せよ」って。

 賢さもハンパじゃなかった。私たち家族の誰かがけんかしていると、それぞれの顔をじっと見つめ、悲しそうな声を出した。だからけんかが馬鹿らしくなってすぐに仲直り。

 勇気と忍耐も与えてくれたよ。お父さんやお母さんと議論しなければならないとき、以前の私ならとっとと自分の部屋に閉じこもったけど、セブンを抱いていると、不思議に落着いた。だからお父さんやお母さんの意見をちゃんと聞けたし、私の意見や反論もちゃんと言えるようになったんだ。学校でも自分を主張しなければならないとき、セブンを抱いていると思うと落ち着き、しっかりと自分を主張することができ、仲間はずれやイジメも自然に無くなった。

 お父さんの同僚が帰国し、セブンが本当の我が家に引き取られるとき、私たちは泣いたね。セブンもずっと泣いていた。せっかく家族になれたのにさ。でも本当のお別れはそれから一週間後だった。家から突然外に飛び出し、一目散に駆け出したと思ったら、通り過ぎた車に轢かれてしまった。即死だった。同僚の人の話だと、走り出した方向は、私たちの家の方角だったという。私たちに会いたかったんだよね、セブンの奴。

 セブンを轢いたドライバーを殺してやりたい。私もセブンのそばに行きたい。でもそんな事、セブンは喜ばない。セブンは私たち家族を再生させてくれたんだ。沢山の思い出と贈り物を大切にしていかなきゃね。(2011年3月27日)

親父 証券会社:46歳
娘 高校2年:16歳