ジャン・アンリ・カジミール・ファーブル(1823~1915)92歳

金運と仕事運に恵まれなかった生涯

 昆虫の行動研究の先駆者であり、その生活史、習慣、本能などを克明に記録した「昆虫記」を著したジャン=アンリ・カジミール・ファーブル。92歳の長寿をまっとうした彼だが、その生涯は貧困と不幸に常に見舞われ、脚光を浴びて生活が多少楽になったのは、亡くなるまでの数年間だけだった。

 ファーブルは1923年12月、南フランスのアヴェロン県にある寒村サン・レオンに生まれた。3歳のとき山村にある祖父母の元に預けられ、大自然に囲まれて育つ。父の家業が失敗し、14歳で学校を中退するが、肉体労働で糊口を凌ぎながら独学を続け、師範学校を出て中学の教師になり、物理学、化学の普及書を著す。間もなく同じ教師のマリー・セザリーヌ・ヴィアーヌと結婚、2人の子どもに恵まれるがすぐに亡くす。

 その後も博物館の館長として働きつつ、天然アカネから染料のアザリンを抽出・精製する開発技術でレジオンドヌール勲章を得るが、事業としては失敗。さらにアヴィニョンのサンマルシャル礼拝堂で市民を対象に「植物はおしべとめしべで受粉をする」という原理を講義する。ところが参加者のほとんどが女性であった事から、受講生から「なんと不道徳な」と、大きな非難を浴びて教職の地位を失ってしまう。

 家主にも追い立てられたファーブルは、住み慣れたアヴィニオンを出てセリニアンに移り住み、『昆虫記』の執筆を決意、このとき54歳の初老だった。だが、セリニアンに移り住んで後に最初の妻を病気で失い、23歳の村の娘ジョゼフィーヌと再婚。そして3人の子に恵まれ、合わせて8人の大所帯を持つのだが、貧乏生活は相変わらずだった。にもかかわらず30年間の歳月を費やして昆虫記全十巻を完成させるのである。

 セリニアンの自宅には1ヘクタールの裏庭があった。ファーブルは世界中から様々な草木を取り寄せて庭に植え付けると共に様々な仕掛けを設置して、老衰で亡くなるまで36年間、昆虫の研究に没頭する。彼はここでオオクジャクヤママユの研究から、メスには一種の匂い(現在でいうフェロモン)があり、オスはその匂いに引かれて相手を探し出すという事を突き止めた。試しに部屋にメスのヤママユを置いて一晩窓を開けていると、翌日60匹ものオスのヤママユが部屋を乱舞したという。貧しくはあったものの、嫌な人間関係に煩わされることなく、充実した楽しい日々を送ることができたのである。

旧知の友人、知人が窮状を救う

 85歳を超えたファーブルは健康を損ない、横になる事が多くなる。そんなある日、友人であり詩人だったフレデリック・ミストラルが彼のもとを訪れる。ミストラルはファーブルの貧しい生活に驚き、県知事に科学奨励金の名目でファーブルに手当てを出すようにはたらきかけたりする。また、医者のジェ・ベ・ルグロ博士もファーブルの生活を気にし、昆虫記完成を祝う記念会を企画、ヨーロッパ中の学者、文化人に声をかけ、この記念会は盛大に行われた。これにより、彼のこれまでの著書が売れるようになり、印税が入ってくる。さらにはヨーロッパ全土に「ファーブルを救え」という運動も起き、全国から寄付金が殺到するようになった。

 政府も彼の業績に敬意を払う。当時のフランス大統領ポアンカレはファーブルに年2000フランの年金と第5等のレジオンドヌール勲章を与え、彼の名声は復活し、彼とその家族は楽な生活ができるようになるのだ。ただし、寄付金は住所と宛名がわかるものは丁重に返金した。「施しを受けるほど落ちぶれていない」という、彼なりの矜持があったからである。送り主不明のものに関しては、セリアンの町の貧しい人々のために寄付をした。

虫たちも見送った彼の最期

 この頃から彼は尿毒症の危険にさらされ、症状は悪化の一途をたどった。そして亡くなる年(1915)の秋、彼は担架に乗せられて、愛するアルマスの庭を一巡りする。これが彼にとっての最後の野外活動となってしまう。10月7日あたりからはときどき意識を失い「もう駄目かもしれない」と、周囲の人びとに言った。それからは寝たきりとなった。そして11日、牧師が彼の枕元に歩みより、静かにお祈りをした。自分の名前を呼ばれたファーブルはかすかに目を開けた。牧師が「私の手がにぎれますか」と聞くと、彼は牧師の手をそっと握った。それが彼の最期だった。

 ファーブルの遺体は、ガマズミの実の赤い花輪で飾った寝台へと横たえられた。顔は白布で覆われることなく、そのままにしておかれた。人びとはその澄み切った美しい死顔に心を打たれたという。葬儀は10月16日の素晴らしい秋晴れに行われた。棺に納められたファーブルの遺体は車に乗せられて山に近い墓地へと静かに運ばれていく。告別の言葉が述べられているあいだ、彼の死を悼むかのようにいくつもの緑色のバッタが飛んできては、彼の棺の上にとまった。そして一匹の赤いテントウムシだけがじっとそこにとまったまま、しばらくは離れなかったという。

参考文献・出典
フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
「新装 世界の伝記38 ファーブル」 小林清之介著 ぎょうせい(昭和56年)



  飯田深雪(1903~2007)103歳

 
 NHKテレビの長寿番組「今日の料理」で、放送当初から講師を務めていた飯田深雪。100歳を記念して同番組に特別出演、見事なビーフシチューを作って健在ぶりを示した。また、101歳のときにはテレビのインタビューで「老後は南の島に行って住みたいですね」と答え、周囲の人々を笑わせている。

 「自分は少しも歳をとった気がしないの。心に年齢はないのね。毎日を創造する気持ちで過ごせば、飽きなんてこないもの」。これが103歳まで長寿をまっとうした彼女の健康の秘訣であろう。「死に対する恐怖はありませんか」という質問にも、「天国は素晴らしいところですよ。花が咲き乱れ、それは美しいところ。それに父や母に会えるのも楽しみですね。だから死ぬことには何の不安もないのよ」と明るく答えていた。

信仰によって救われた人生

 従来の紙で作られた造花とは異なり、カットした白い布に着色して成形し、さまざまな花にまとめあげる「アートフラワー」。布に託した立体の絵画として、芸術的にも高く評価され、国内はもとより各国で人気を博している。この産みの親が飯田深雪である。終戦直後から焼け跡の仮住まいでアートフラワー教室を開校。同時に海外暮らしの経験を生かして西洋料理ばかりでなく、テーブルセッティングやマナーの普及にも尽力した。

 幼い頃は病弱だった。彼女自身、長生きできるなどとは思ってもいなかったという。周囲から羨ましがられた外交官との結婚生活も辛いだけのものだった。ようやく離婚したものの心が満たされることはなかった。だが、聖書との出会いが彼女に生きる希望と勇気を与える。「朝起きると朝食までの二時間ほど聖書を読んで過ごしています。私の暮らしは祈りなくしては一日も立ち行きません」と、信仰が心の支えになっていたことを明かしている。そして次のような使命感と心の安らぎを信仰から与えられたのである。

 「どうすれば自分自身の心の満足が得られるのかと検討したりするのではなく、自分は今、何を果たすべきかを第一に考え実行するとき、不思議に心に充実感がもたらされ幸福感がみなぎります。この心の喜びが健康にもよい結果を招くのです」。「神への祈りを知らない人は必ず孤独感があり、体に悪い影響を与えます。憂いは肺を犯し、憤りは肝臓を隆起させ、悲しみは心臓を悪くすると医師も断言しております。目に見えるものばかり、あるいは物にのみ依存していては、決して心の平安を得ることはできないのです」。

最高のマナーとは暖かい気配り

 健康的な食生活とはどういうものか、という質問に「自分の暮らす土地で育った季節の野菜や果物を食べること」と答え、これが料理教室の講義の柱ともなっている。各国、各地それぞれ気候風土が異なり、その気候風土に応じた食べ物が土地から収穫され、それを地元の人々が食べることは大自然の摂理に従ってのことだという。今でいう地産地消である。むやみやたらと外国産の食べ物に依存する危険性を飯田は早くから指摘していたのである。「日本人は米穀をもっと大切にすべきです。でないととんでもないしっぺ返しを喰うでしょう」と。日本国内の食料自給率は40パーセントにも満たない状況にあり、しかも穀物類は新たなエネルギー源として注目され、各国で争奪戦を繰り広げたことにより、価格は高騰する一方である。彼女は天国で顔を曇らせ、嘆いているのではなかろうか。

 とにかく勉強をする人である。「勉強くらい人生を明るくし、人間らしい充実感で充たしてくれるものはないと思っています。若かろうと年老いていようと、自分の現在の立場や職業を天職あるいは指名と考え、とことんまで自分の分野を勉強することがもっとも正しい道だと信じることです」。時間があれば新聞5紙に目を通し、世界情勢をテーマにした本を読破、内外の情勢に目を光らせる。それらの情報は料理、マナーにも無縁ではないし、異文化、異国人を理解するためにも必要なことだからだ。

 マナー上手は人生上手でもある。「マナーとは本来、あれは違うこれは間違いなどとこだわるのではなく、人の気分を損ねないように、その場の大勢に合わせることなのです。教養の低い人ほど一つのマナーに固執し、別のマナーがあることを知らずに恥をかくのです。虚栄心がなく、あるがままに、精一杯もてなそうとする心が伝われば、私たちは自然とその人に好感を抱くようになり、その人は愛に包まれて幸福に過ごすことになる」。

PROFILE
1903年新潟県出身。戦後、アートフラワーを創始。海外生活の経験を生かして西洋料理やテーブルマナーの普及にも尽力。シラク・元パリ市長から「パリ栄誉賞」を贈られる。NHK「今日の料理」に初期から出演。著作は多数。2007年103歳で死去。
長寿のヒケツ
食事
自然の摂理に従い、なるべく地元で採れた野菜、果物、魚を季節に応じて調理し食べること。外国産にはなるべく頼らない。
健康法
毎日欠かさず新聞に目を通して頭を刺激する。そして全国の教室を回って指導する。これにより足腰も鍛えられた。
趣味
読書。さまざまな分野の事柄、人間を知ることにより、自身を磨き高めることができると同時に、歴史と世界を理解できる。