八戸自由大学第7回講座より抜粋

講座名
 縄文文化のシャマニズム


講師・鈴木克彦氏(弘前学院大学地域総合文化研究所客員研究員)

鈴木克彦氏プロフィール 1948(昭和23)年、青森県新郷村生まれ。八戸高校、国学院大学卒業。考古学ジャーナリスト。日本考古学協会員。


講座より抜粋
 
 世界三大原始宗教とは「アニミズム」「トーテミズム」「シャマニズム」である。このなかで自然界のすべての物体に生命の霊を認め、それを信仰するアニミズムは、縄文文化においても主要な信仰、宗教の根本思想とされている。

 縄文文化におけるシャマニズムについては、土偶女神像説を鳥居龍蔵が提唱して以来、土偶をシャマンに見立てる巫女=土偶説が一般に考えられている。しかしシャマニズムはシャマンが木偶女神像、太鼓、弓、弦楽器などを使って病気治療、天候占いなどを執り行う呪術であり、土偶だけの存在だけでは説得力に乏しい。

 狩猟社会の縄文文化におけるシャマニズムの研究には、シャマニズムの本場である狩猟社会のシベリア、モンゴルなどの北方民族誌によるシャマニズムの比較研究と、考古学による出土遺物、遺構に基づく実証的な研究が必須である。それとともにシャマンの存在を立証し、シャマンが重要な役割を演じる文化や社会構造を研究しなければならない。

 シャマン、シャマニズムの研究は、主にヨーロッパ、シベリアなどでグローバルに研究されており、ラスコーなどの弓の壁画により、旧石器時代から存在すると考えられているが、その起源についてはまだ分ってらず、民族誌では18~20世紀の主にシベリアのシャマン、シャマニズムが研究されているだけである。とくに世界の先史時代、石器時代では、日本の縄文文化が最も事例が豊富だが、これまではすべて土偶の研究において呪術信仰の存在が「提唱」されてきただけである。それゆえ、縄文文化においてシャマンが存在したという点を論拠するには、この土偶だけでは有力な根拠とはなりえない。また、シャマンの特徴を知ることも必要である。シャマンは知的・感性的にも優秀で有能な人物であるが、反面、一種の精神病的な人物、女性に多く、家系的には世襲され、職能化されていることが知られている。

 そこで私は縄文文化にシャマンが存在したことを立証するために、全国の土偶の出土状態を調べ、次のような仮説をたてた。すなわち、1・シャマンの家(住居)  2・シャマンの墓(土杭墓)を確認することである。その結果、土偶を出土する住居や墓杭は全国に幾例か知られているが、1のシャマンの家(住居)については、八戸市風張遺跡の朱彩合掌土偶を出土した15号住居が全国でもっとも優れた考古学資料であり、それを「シャマンの家」と仮説化した。

 2のシャマンの墓については、岩手県盛岡市の萪内遺跡遺跡の土偶を出土する4基の土杭墓群が、世襲を裏付ける墓群ではないかと推考し、それらをシャマン家系の家族墓と仮説化できると考えた。

 シベリア民族誌によると、天空に通じるシャマンは神像として木偶を祭壇に置いて信奉し、シャマンが所持する木偶は最高位の神像とされる。他に、シャマンは庶民の持つ木偶に魂を入れる役割を担い、魂の入っていない木偶はご利益が薄いとされている。このようにシャマンの神像は、土偶であれば土偶中の最高の土偶でなければならない。その点、朱彩、造形、完形などから、国宝に指定された風張合掌土偶はその条件を満たすと考える。しかしながら土偶はそのままシャマンではなく神像であり、土偶を呪術に使う人物がシャマンであって、土偶はシャマンの用具にすぎない。民族誌でも、木偶は自由に作れるために庶民がそれぞれ自分や家系を保護する神像を持っており、それに魂を入れることがシャマンの主要な努めだと報告している。

 また、シベリア民族誌からの引用だが、シャマンは呪術行為に太鼓のほかに弓、鏃(やじり)を使い、小袋に多量の鏃を入れて所持し、呪術行為に使う習俗とシャマンの墓に鏃等を副葬する葬俗儀礼が見られるという。このことから北日本に多い(使えない儀礼用の)石鏃を多量に副葬する墓は「シャマンの墓」と「シャマンが介在した信仰葬俗」に類推することができると考える。シャマンと鏃の関係は古典的シャマン、シャマニズム研究に提唱されており、私はそれを「新石器時代に開始する狩猟文化の生きた化石信仰を物語るもの」と考えている。石鏃を多量に副葬する墓事例は北海道だけでなく青森県にも見られ、最南端は新潟県佐渡市にある堂の貝塚で、北方的な葬俗と考えられる。

 次に八戸市是川中居遺跡の箆(へら)形木製品、縄文琴についてである。結論から言えば、同遺跡の箆形木製品は、世界最古の現存する出土製弦楽器、すなわち縄文琴である。青森県に存在する考古学資料のなかで「世界最古」と銘打つことができるのはこれ以外に無く、世界に誇れるものであろう(ただし、厳密には縄文時代後期中葉の北海道小樽市忍路土場遺跡が最古である)。

 日本の弦楽器の起源には諸説ある。従来は正倉院の弦楽器が朝鮮経由の中国渡来説であったが、最近では弥生時代に求めるのが研究最前線の定説である。それによると弥生時代の弦楽器は、中国に由来し朝鮮半島を経て卑弥呼の時代に日本に伝播したものと考えられている。しかし、弥生時代に起源を求める学説は必ずしも間違いではないが、正鵠を得てないと考える。それには縄文時代から弥生時代の出土弦楽器の発展史を理解する必要があるからだ。現に日本では200余点の弦楽器が出土しており、それらの内容は多様である。

以下、弥生時代の木製弦楽器の分類、日本の弦楽器・琴の発展史、「記紀」における弦楽器の使用目的と意味、弓と弦楽器の関係などが語られた。