親父さんの言うこと、人を見る目は間違ってなかった


 親父さんに手紙を書くのは、10年ぶりかな。歳月の流れの速いこと。

 大学を卒業して社会人1年生のあの頃の俺。新人ホテルマンとして右往左往する日々を過ごし、ついつい親父さんに泣き言を聞いてもらうという、頼りない男でした。中小のホテルチェーンだから仕方ないけど、フロント係を振り出しに、宴会、営業、企画、開発と、二年ごとに異動の連続。慣れない仕事と勤務地に、ノイローゼ気味になり、一時は仕事を辞めようかと思ったほどです。だけどその度に「悩み苦しんだ分、それは血肉となってお前を成長させるんだから、もう少し頑張ってみろ」と、励ましてくれました。

 確かに、辞めようと思えばいつでも辞められる。ギリギリまで踏ん張り、それでも駄目なら辞めよう。そんな開き直りが、俺を積極的にさせてくれたと思います。素直な気持ちと誠実な態度で、仕事にも人にも接しているうち、仕事が面白くなってきました。ときには上司や同僚に足を引っ張られるような事もあったり、悔しい思いもさせられたけど、見てくれる人、理解してくれる人はいた。元上司が外資系のホテルにスカウトされたのが縁で、俺も一緒に引き抜かれることになった。信じられないような話だったけど、「これが血肉になるってことなのか」と、奮えた。

 それから10年という歳月は、情けない自分を鍛えてくれた、昔よりは打たれ強く、逞しくしてくれた月日の流れのように感じます。

 嫁さんにも恵まれた。警察官だった頃の親父さんとは顔見知りの娘さん。親父さんと久しぶりに居酒屋で飲んでいたら、この娘さんが偶然店に入ってきた。笑顔が素敵な俺好みのポッチャリタイプの保母さん。性格も穏やか。「良い娘だね」と言ったら、「付き合ってみるか」ということで交際。ところがこの娘というのが、キレたら怖いのなんの。

 デートしていたときのことだが、歩きながらタバコを吸っていた男がいたんだが、こいつの捨てた吸殻がホームレスの老人に当たった。それを見るやいなや、男に駆け寄り、そいつの胸元を掴んで、「テメェ、どこに吸殻捨ててんだよ! 吸殻拾って、この人に謝れ!」。バカ男ばかりか周囲も唖然として、警察官もやってきた。そして男は警察官から厳しい注意を受けて退散。

 彼女の正体がここで分かった。中学生の頃から手のつけられない不良娘。煙草、酒、カツアゲ、ケンカ、暴走族と、たいがいの悪さを経験したものの、親父さんや仲間の警察官たちに諭され、見守られて更生。噂に聞いていた元スケバン保母が彼女だった。

 もうすぐ生まれてくる初孫を、心待ちにしている親父さん。「俺の警察人生の中で最大の収穫と誇りは、お前の嫁さんだ。その彼女が今度は孫まで贈ってくれるんだから、人生ってのはやめられないよ」。そうだね。人生、明るく真面目に前向きに、だ。(2011年6月5日)

父 警備員:61歳
息子 ホテル勤務:34歳




  倒産で知った、家族の大切さと人の優しさ


 お父さんへ。ようやく元の元気な姿に戻れてホっとしています。日曜日の晴れた早朝、いつものメンバーと草野球を楽しむ姿を、私は土手の芝生に座って観戦するのが楽しみ。三振やエラーばかりだけど、メゲない姿勢がステキ。人生にもネバー・ギブ・アップの精神が必要だよね。

 タクシードライバー歴20年。その間にお母さんも必死になって働いて貯金。12年前に資金ができて念願の運送会社を設立、夢だった社長さんになりました。お母さんも含めて社員6人のちっぽけな会社だけど、大きな夢と目標があり、みんな燃えていたっけ。私もよくコキ使われた。

 だけど、5年前から雲行きが怪しくなってきた。価格競争のあおりを受けて売上がなかなか上がらない。おまけに銀行もスンナリ運転資金を貸してくれなくなったしね。親戚や知人からお金を工面して、どうにかこうにかやってきたけど、去年の夏に倒産。「借金はなんとしでも返すから」と、お金を貸してくれた人たちに謝罪して回る日々が続いた。

 家と土地を売っても、残った借金の総額は3000万円。宝クジに当たる以外、返済できそうにない金額に私も驚いた。だけど一番ショックを受けたのはお父さんだよね。ヤケ酒を飲むたびに「俺は最低の人間だ。何が社長だ。家族や社員の生活も満足にみられないで」と、同じグチを何度もこぼしては泣いたっけ。

 行動もおかしくなった。それまで一度もしたことのない競馬、競輪、パチコンに通い詰め、更に借金が増えた。お母さんとの口けんかも毎日。私たち家族は崩壊寸前だった。

 そんなときに現れたのが、草野球チームの監督さん。監督さんが経営するスーパーストアにお父さんばかりかお母さん、それに解雇した社員まで雇ってくれた。そして心配する私に「今、お父さんに必要なのは、ゆっくり考える時間と環境だよ。なぜ倒産したのか振り返えることができれば、これからどうすればいいのかも見えてくる。そうすればお父さんも立ち直れる。ゆっくり見守ってあげよう」。と、励ましてくれた。

 それからというもの、お父さんにも我が家にも平穏が訪れました。借金の返済は一生かかりそうだけど、家族が仲良く健康で過ごせるのが一番の幸せだってことに気付いたよ。

 それにしても私たちは恵まれているよね。監督さんのような理解のある人や、借金を待ってくれる人たちがいてさ。お父さんのように倒産したり、あるいは失業して自殺する人たちが多いけど、もし監督さんのような人が一人でもいたら、自殺する人も減って、立ち直る人も増えるんだろうけどね。もしお父さんのような立場の人が現れたら、今度は励ましてあげる番だよ。頑張ってね。(2011年6月12日)

父 48歳:会社員
娘 21歳:アルバイト



 何がしたいのか、それを探さなきゃ

 九州一周の修学旅行、とても楽しかったよ、お父さん。お土産のフグセット、ちょっと高かったけど、喜んでもらえてよかった。

 「今どき大学も出てないで、まともな就職なんてできないぞ」。顔を合わせればこれだもんね、お父さんとお母さん。マジ、家出なんかを考えていたんだ。そんなときの修学旅行だから、助かったよ。これでしばらくはガミガミ言われることないし、嫌な顔を見ずにすむってさ。

 生まれて初めての九州は何もかも珍しかった。初めて食べる料理も新鮮。バスガイドさんが歌う地元ソングもみんなにバカ受け。旅館では中学生みたいに枕投げもした。みんな疲れているから、すぐに寝るのかなと思ったけど、ほとんど起きてたよ。みんな同じ事で悩んでたんだ。来年の卒業後の進路のことでさ。

 俺たちの工業高校は私立の三流。大学進学といっても国立・公立は無理だし、有名私立も絶望的。せいぜい三流の私立大がいいとこ。そんな大学に入っても、いい会社には就職できないだろうな。やっぱ、専門学校で何か技術とか資格とるしかないか。それでなけりゃ一生フリーター。こんな話を深夜までしてたんだ。

 毎晩、深夜まで話し込んでいたもんだから、担任の先生が怒りながらも、心配して話し相手になってくれたよ。そして俺たちに欠けている部分を指摘してくれたんだ。「お前たちは何をしたいの? 何が好きなの?」ってさ。そう言われると、確かにこれといって好きな事も、目標も無いことに俺たちは気付いた。

 重要無形文化財という、偉いお爺さんが講演してくれたんだけど、それでちょっとだけ勇気が出た。成績は悪いし運動も駄目。体も弱くて何をやらせてもグズ。だけど絵を書くのが好きだったお爺さんは、必死になって自分なりに絵の勉強をしたんだ。いつも貧乏生活だったけど、好きな事をしているから苦しくはなかったという。そして60歳頃から認められ、ついに重要無形文化財。

 「落ちこぼれは恥かしいことじゃない。恥かしいのは、駄目な自分に甘えることです。何でもいいから好きなものを見つけよう。もっと好きになるよう努力と工夫をしよう。貧乏を覚悟してそれを続けていれば、君たちも将来は重要無形文化財、あるいは人間国宝になれる、と思うよ」。

 この言葉には励まされたね。みんなも感動してた。そうなんだ、好きな事を見つけなきゃってさ。そこからすべてが始まるんだよな。そこでお父さんに提案。今のところ大学、専門学校とも、好きな勉強が見つからないから、進学はパス。しばらくはバイトしながら、自分の好きな事を探したいんだけど。お願いします。(2011年6月19日)

父 48歳:地方公務員
息子 17歳:高校3年生




 足元にあった小さな幸せ

 お父さん、先日は世話になりました。久し振りの実家での一泊、なぜだかとても優しい気持ちに戻ることができました。数年前までは一生、戻るつもりのない実家だったのに。

 小学生の頃、お父さんに笑顔で見つめられるたびに安心したものです。だけど中学生に進む頃から反抗期。優しいお父さんの笑顔に息苦しさとウザったさを覚えて、無視するようになりましたね。高校生の頃には、中学しか出ていないお父さんを軽蔑するようにもなっていました。

 作業服にお弁当を抱えた姿で工場に出勤し、そのままの格好で帰宅するお父さん。それがとても嫌でした。汗と油が染み込んだ作業服と、私の服が同じ洗濯機に入っているのに怒り、お母さんにも噛みついたよね。それにこんなこともあった。私が友だちと帰宅途中、たまたまお父さんとハチ合わせしたとき、私のお父さんだと友だちに知られるのが怖くて友だちの手を引っ張って駆け出した。

 なんて親不孝な娘なんだろうと、自己嫌悪に何度も陥りました。だけどどうにも抑えられません。貧乏臭いお父さんが嫌、貧乏臭い家庭が嫌、貧乏臭い下町が嫌。こんな環境から抜け出すには一流の大学に進み、一流の企業に就職するしかないと、山の手のアパートに引越し、バイトしながら必死になって勉強し、その目標を達成することができました。

 勤め先では仕事はそっちのけで結婚相手探しに夢中。社内にいないと分かると結婚相談所に登録し、お給料の大半を合コン、お見合費用に投入したものの、結婚までは至らず。妥協して結婚したのが、一流企業に努めていたエンジニア、つまり今のダンナです。見た目は老けてオジさん臭いけど、優しい笑顔と寡黙なところがお父さんにそっくり。

 だけどダンナの企業が吸収合併でダンナはリストラ対象に。知り合いのツテでようやく見つけた仕事が町工場のエンジニア。これも運命だと諦め、実家に近いアパートで、下町暮らしが始まりました。

 作業服で出勤し、作業服で帰宅するのはお父さんと同じ。食卓で娘をこぼれるような笑顔で見つめるのも同じ。私もこんなふうに見られていたんだね。私はといえば、お母さんと同じく、ダンナの笑顔と娘の笑顔に満足しつつ、小さな幸せというものを噛みしめる日々。お父さんとお母さんが望んでいた幸せって、どういうものかも分かりかけてきました。
  
 ダンナの汗と油にまみれた作業服は、感謝しつつ丁寧に洗ってますから安心してください。私と娘のために一生懸命頑張ってくれる作業服だもんね。大切にしなきゃバチがあたる。本当にこれまでのことご免なさいね、お父さん。お馬鹿な娘より。(2011年6月26日)

父 工員:63歳
娘 主婦:33歳