退院したら温泉に行こうね


 お父さん、無事に大学を卒業できました。四年間、本当にありがとう。

 一緒に卒業する仲間たちは、誰もが両親と笑顔で記念撮影。私だけポツンと離れ、幸せそうな光景を恨めしげに眺めるだけ。私もお父さんに晴れ姿を見せてあげたかった。だけど仕方ないよね。卒業式の当日が、お父さんの手術の日だったんだから。

 お父さんが大腸ガンで入院しなければならない。お母さんが泣きそうな顔で言ったとき、私は頭の中が真っ白になった。だって信じられないよ。丈夫なだけがとりえのお父さんがガンだなんて。でも、言われてみれば、思い当たる節もあった。痩せたもんね急に。それに煙草の本数とお酒の量もめっきりと減った。お母さんが「節約、節約」と口うるさいから、そのせいかと思っていたけど、本当は体調が悪かったんだ。

 仕事も厳しそうだったね。事務所では腕組みをしてじっと考え込む姿が多くなったし、電話では「殺人以外なら何でもやりますから、仕事、回して下さいよ」と、冗談っぽく話していたけど、マジに経営状態は悪かったんだ。そんな事も知らずに「もっと上手な営業方法が考えられないのかな」なんて、歯がゆく思っていた私。「真面目なのはいいけど、もっと要領よくやらなきゃ、生き残っていけないわよ」。しっかり者のお母さんの影響も受けて、私はお父さんの事、小さい頃から軽く見ていたんだ。

 一人娘で大切に育てられていることをいいことに、小さい頃から我がままのし放題。お嬢様大学に進学したいと言ったのも、お父さんの困った顔が見たかったから。お父さんの収入じゃ、入学金や授業料は無理だろうと思っていたのに、ちゃんと払ってくれたね。そのお金がお父さんの生命保険の解約金だったこと、限界を超えるほどの仕事を増やしたことなど、卒業式の前日、お母さんから聞いたよ。無理させちゃったね。

 バイトしてもそのお金は私だけのもの。お父さんやお母さんには何ひとつ買ってあげたことなどなかった。二十二歳の大人なのに、情けないよね、私って。そんな馬鹿な娘のために苦労して、悔しい思いして、挙句の果てにはガンだもん。私さえいなければ、お父さんの人生、もっと違うものになっていたんだろうけど。

 卒業します。馬鹿な娘から。急には変われないけど、まともな大人、まっとうな娘に近づくよう努力してみます。努力した甲斐もあり、小さな会社だけど、就職も決まったことだし、新しい私へと変身しなくちゃ。

 もうすぐ退院だね。病状が軽くて安心しました。退院したら写真館で三人一緒の新たな門出の記念撮影しようよ。そして初めての給料で、温泉旅行でもしよう。ね、お父さん。(2011年8月7日)

父 自営業:49歳
娘 会社員:22歳


 家族から離れて分かった、家族のありがたみ

 オヤジ、元気か。俺も元気だから安心しろ。ケンカもしていないし、勉強だってちゃんとやってる。結構、真面目な高校生活送ってるからよ。

 ここの先生たちって、とにかくよく笑う。ビョーキじゃないのっていうくらい笑う。クダらないギャグの連発かますし、俺らにウケないで全員シラけてれば、先生が自分で笑っちゃうんだもんな。みんなあきれて、それで仕方なく笑っちゃう。

 たまに怒るときもあるよ。嘘を言ったとき。仲間をイジメたとき。授業中に携帯の電源切ってないときとか。だけど、煙草吸ってるとことか、ビール飲んでるとこ見られても、「ガキのくせに3年早いんだよ」とかって、笑って見逃してくれる。こんな感じで言われちゃうとな、俺らも反発すんのがバカバカしくなる。だから煙草吸う奴とか、飲酒する奴って、一握りの新入生ぐらいだ。兄貴とか、オヤジだったら、いきなり殴るんだろうけど、ここはそんなことなし。

 ここの高校、俺は気に入ってる。先生も仲間たちも好きだよ。とにかくノンビリしてる。威張りくさった奴とかセコイ奴が少ない。落ちこぼれの先生と生徒たちの集まりかも知れないけど、俺にとっちゃ天国だ。

 オヤジもお袋も国立大卒業。兄貴と姉貴も国立大学入学。だけど俺だけ三流の私立高校で、国立大学は夢のまた夢。みんなから「突然変異の落ちこぼれ」とかってバカにされ、俺は暴れまくった。お袋や姉貴に殴りかかり、兄貴やオヤジとは毎日のように殴り合い。このままじゃ家庭崩壊だなと俺も思っていたし、そのうち家族の誰かが死ぬんじゃないかとも思った。そんなある日、中学のときの担任で、今はここの高校で教頭している先生が俺のことを知り、転校をすすめ、寮生活ができることを教えてくれた。みんな喜んだよな。厄介者がいなくなるんだから。俺だって飛び上がって喜んだ。「こんなクソ家族から離れられるんだ」って。

 仲間たちの話や立場には共感した。俺と同じ境遇だから。だけど最近、「ちょっと違うんじゃないか」とも思いはじめた。冷静になって聞いていると自分の責任を親や家族、センコーや社会のせいにしている。「俺たちにも責任があんじゃないのかな」って言ったら、「なんだお前は」って最初は無視された。だけど、何度も話し合っているうち、みんなも考えるようになった。「確かにな。俺たちがキレる原因は、俺たちが作っていたのかも」って。だから俺も反省の日々よ。

 オヤジも兄貴も俺のことが心配だから、なんだかんだと言ってくれるわけだよな。それなのにすぐにムカついてキレてしまう俺。だけどこの学校のおかげで俺は少しは大人になれたような気がする。オヤジたちと離れて暮らすことで、家族の優しさや暖かさも見えてきた。感謝する。(2011年8月14日)

父 50歳:国家公務員
息子 17歳:高校2年


 亡くなったパパのことを想うと・・・・

  パパ、17歳の誕生日プレゼントありがとう。とってもうれしかった。「ママには内緒だぞ」って、それ、了解です。

 これね、以前からとっても欲しかったんだ。蝶のモチーフに、ムーンストーンとピンクパールの下がりでできた、とっても可愛いイヤリング。お小遣いやバイトで貯金したお金で買うつもりだったけど「大人の女性向きだからダメよ」って、ママからキツく言われてたの。友だちはもっと大人っぽいのをしているのにさ。

 多分、ママから聞いたのね。それで私のお気に入りのイヤリングが分かったんだ。私からパパに「こんなのが欲しい」なんて、おねだりすることなんてなかったからね。おねだりどころか、高校生になってからはパパのこと避けてきた。近づいてきたり、私に話しかけようとすると、すぐに私、自分の部屋に駆け込んだもの。パパの寂しそうな、悲しそうな顔を思い浮かべると、なんて冷たいヒドい娘なんだろうって後悔した。

 パパと私は血のつながってない親子。最初のパパは交通事故で、私が幼稚園のときに亡くなった。そして私が小学校4年のときにママが再婚。新しい(今の)パパができた。うれしかったな。思いっきり甘えられて、なんでも言う事を聞いてくれるパパ。仕事はできるし、スタイルやファッションセンスも、そのへんのオジさんたちとは比べものにならないくらいステキだもん。ママともいつでもラブラブ状態だし、友だちにも自慢できるほど、カッコいい私のパパ。

 だけど、これでいいのかな。私という存在は亡くなったパパがいたからこそ。それに優しかった思い出が胸にしっかり刻まれているんだ。そんな思い出をたくさん残してくれたパパのこと、次第に忘れつつある私。これを罪とはいわないのかな。

 ママへの反発もあるんだ。亡くなったパパのことで、私が知りたいことがあっても教えてくれないし、わざと亡くなったパパのこと忘れようしているみたい。ママはなぜ亡くなったパパとは正反対の今のパパを再婚相手に選んだんだろう。亡くなったパパが嫌いだったから? なぜパパに似た男性を選ぼうとは思わなかったの? パパの記憶が薄れていくのに寂しくないの? 悪いとは思わないの? そんな疑問が高校生になってから次から次へと湧いてきて、パパが遠い存在の人に思えてきたの。だけど、ママへの疑問やパパに対する考えを口に出したら、今の幸せな家庭が壊れそうな気がする。三人とも他人になってしまう気がするんだ。

 これが私の今の正直な気持ち。パパの事、決して嫌いじゃないよ。亡くなったパパに「これから先、私はどう今のパパとママと生きていくべきか」相談中。気持ちの整理ができたら、また甘えん坊の私に戻るね。(2011年8月21日)

父 47歳:弁護士
娘 17歳:高校2年






  20年ぶりに、親子に戻ってみないか


 妹の結婚式に出席してきました。親父さんに花嫁衣裳を見せてあげられないことを、とても残念がっていた妹ですが、その替わりにビデオを送るとのことです。成長してきれいになった妹の晴れ姿、見てください。

 妹、そしてお袋さんに会ったのは20年ぶりです。結婚式場の控え室で妹とお袋さんに再会したとき、三人とも抱き合って泣いてしまいました。苦労したんだろうな。お袋さんの顔にはシワが目立ち、年相応よりも老けて見えました。それにすっかり痩せて、小さくなった気がした。

 寿司職人として一流の腕を持ちながら、ギャンブル狂いで我が家はいつも火の車。お袋さんのパートでどうにか凌いでいたが、だらしのない親父さんを俺は軽蔑していた。

 ある日、風邪で学校を休んだ妹を、親父さんはパチンコ屋に連れ出した。親父さんと遊ぶ機会がほとんどなかった妹は喜んだ。熱があるのに無理を押して親父さんのそばについていたものの、煙草の煙や効きすぎた暖房がよくなかったのだろう、妹は倒れてしまい、救急車で病院に。鬼の形相で駆けつけたお袋さんは、親父さんの顔を平手で何度も殴った。そんな事が原因で、俺が10歳、今から20年前に二人は離婚した。

 妹と俺を引き取ってお袋さんは実家に戻ったものの、俺は爺さん、婆さんに嫌われた。俺の顔や態度が親父さんに瓜二つだったから。暴力も何度となく振るわれた。仕方なく、叔父(親の弟)夫婦のもとで世話になることになった。親父さんと一緒の生活も考えたけど、「日本にはいたくない」と、親父さんはハワイに移住してしまった後。なんて無責任な父親だと心の底から恨んだ。以来、俺は叔父夫婦を親と思い、生みの親と妹は忘れることにした。

 叔父から400万円の小切手を受け取ったのは、半年前のことだった。親父さんからの贈り物だという。驚いた。さらには、妹が結婚するので、俺と同じく400万円を贈ったことを叔父から聞かされた。親父さんは俺と妹がどう育っているのか、叔父から知らせてもらっていたんだな。

 ハワイに移住してからは、ギャンブルはおろか、煙草も酒も、これといった娯楽にも手を出さず、ひたすら寿司を握り続ける日々だったこと、そして給料の大半を俺と妹のために貯金してきたことを知った。知り合いのいない外国で、アパートと寿司屋を往復するだけの、無口で無愛想な親父さんを想像したら、泣けてしまった。冷たい、無責任な親父さんだとばかり思っていたからな。

 俺と妹からのお返しは、別府温泉旅行です。お袋さんと妹の旦那も交え、五人水入らずで温泉につかい、旨いものを食べて、昔の親子に戻ってみないか。(2011年8月29日)

父 寿司職人:60歳
息子 大手量販店:30歳