オヤジの味で勝負するよ

 元気ですか、親父さん。
 今年の夏は熱かったよ。故郷の沖縄も暑いけど、それ以上に東京は熱かった。気温が40度近い日が何日かあって、外に出た途端、クラクラと目まいがしたほどだ。こんな経験、生まれて初めてだよ。東京は凄い。

 商売のほう、なんとかやってるよ。儲けはそんなにないけど、どうにかこうにか生活できる程度の収入は確保できるようになった。安心して。

 屋台での弁当販売、最初はしんどかった。商売始めるまで手続きやら許可や資格やら、面倒くさいことばかり。だけど、東京で知り合った友だちが、なんだかんだと親切でね、一年たってようやく軌道に乗ったところかな。商売の苦労と共に、喜びも分かり始めたところです。

 俺の弁当、評判いいんだよ。なんたって沖縄の味、親父の味だもんね。お客さんからは「お袋の味がする」って言われるけど、実は違うんだな。

 生まれつき病弱の親父さんは、無理をするとすぐに体を壊した。そのため普通の仕事はおろか、会社にも勤めることができなかった。その代わり、元気と明るさだけが取り柄のお袋さんが、朝から晩まで働いて、我が家族を養ってくれた。親父さんの担当は料理、掃除、洗濯、子育て。我が家の事情を知らない大人たちは「大の男が家事や育児をするなんて」と、軽蔑の言葉を浴びせた。俺も中学生になるまでは、親父さんが恥ずかしかった。「男のくせに」って。

 だけど、親父さんは育児のプロだったよ。反抗期の俺ら子供たち四人に、真正面からぶつかり、共に笑い、泣き、怒り、必死で付き合ってくれた。お袋さんなんか、じっと見守るだけで、口出ししなかった。安心して親父さんに任せていたんだな。

 料理も上手かった。朝晩の食事が楽しみだったし、たまに学校に持っていく弁当は、その味にみんなが驚いていた。「お前んとこのお袋さんって、プロの調理師みたいだな」ってね。「実は親父が作ったんだ」なんて言えないしさ。困ったけど、心の中で「俺の親父、病弱でなかったら、立派な料理人になっていた」って、誇りに思っていたんだ。

 お袋さんに似たんだろうな、頭は良くないけど、体だけは丈夫な俺が選んだ道は、料理人。高校を卒業して幾つか有名な店に勤め、評判の味にも出会った。確かに旨い。五星クラスばかり。そして親父さんの味と比較してみたんだ。その結果、それほど違わないことが分かった。

 今は創作料理の店を持つための資金稼ぎと、修行、マーケットリサーチも兼ねての屋台生活だ。念願の店が持てたときには、親父さん、是非とも俺の相談役になって欲しい。それまで、俺の成長を見守って下さい。(2011年9月4日)

父 58歳・無職
息子 28歳・自営業




  こんなヒドい会社なんか、辞めちゃいなよ


 もう1週間ほど顔を見てないし、会話もしてないよね、お父さん。自分の体と健康のこと、マジに考えたほうがいいよ。年なんだしさ。

 顔を合わせれば、なんだかんだとウザったい事しか言わないし、家の中でも外でもいつも服装は上下のジャージ。それにヘビースモーカーで家のいたるところがヤニ臭い。こんなオヤジがいる家なんか、早く出たいといつも思ってた。だけど、口げんかができる相手がいないって、ちょっと淋しい。お父さんと口げんかすることで、私もストレスを発散させていたことも分かったんだ。

 必死になってようやく見つけた再就職先。お父さんの年齢で仕事先が見つかるなんて、奇跡的だって泣いて喜んだお父さんとお母さん。だけど、そんな事情をいいことに、再就職先の会社はお父さんに沢山の仕事を押し付けた。それも経験したことのないような難しい仕事や、アルバイトで済むような簡単な仕事も。その結果、夏休みはわずか2日。多くの人たちが夏休みを楽しんでいる最中、お父さんは炎暑のなかを、汗だくで、息を切らしながら仕事の日々。お母さんの心配は増すばかり。誰にも相談できないから、私にこぼす。

 会社があって、仕事もある。ちゃんと給料とボーナスも支給されてる。今の世の中、それだけで幸せかも。会社が倒産して、リストラされて、悲惨な状況に陥ってる人や家族がどれほど多いか、私にだって分かるよ。そんな人たちに比べたら、ワガママ言ってる私って、大馬鹿者かもね。

 だけど、心配なんだよ。お父さんの体や健康が。帰宅はほぼ毎日、深夜。それも接待なのか、ストレス解消なのか定かではないけど、ほとんど酔ってる。お母さんと口論しながら、食事もしないでお風呂へ直行。そのまま湯船で寝てしまったこともあるよね。そのたびにお母さん、近所にも聞こえるような、悲しそうな叫び声あげてさ。「馬鹿オヤジ、とっとと寝ろよ」って、布団をかぶって私も泣きたくなったことが何度もあるよ。朝は朝で、私が起きる1時間前には家を出て会社に向かってる。

  お父さん、こんな会社なんか辞めちゃいなよ。体がもたないよ。そのうち過労死しちゃうよ。酷使ばかりする会社に未練なんかないじゃん。

 私も来年は高校卒業だし、だから働くよ。「生意気なこと言うな。家のローンはどうすんだ。生活費は誰が稼ぐんだ。お前が考えているほど世の中、甘くはないんだ」って、怒鳴るけど、お母さんだって働こうとしている。私だって少しは役に立つはずだよ。ここでお父さんに何かあったら、それこそ家族は崩壊だよ。私たち3人が健康で元気であれば、道は開ける。だから無理はしないで。(2011年9月11日)

父 50歳・派遣社員
娘 17歳・高校3年





  売れない芸人親子、ツライね


 オヤジさん、65歳の誕生日おめでとう。先日、久しぶりに寄席で元気な姿を見ました。相変わらず古いネタをやってるんだ。だけどちゃんと笑いを取っている。さすがだ。

  
 こちらも貧乏暇なし状態が続いてます。お笑い芸人としてデビューして早や10年。なのに未だ無名のまんま。テレビとラジオでたまに顔を出すものの、顔と名前はほとんど知られてません。同期デビューしたお笑い芸人の中には、泣かず飛ばずのまま、既に見切りをつけて業界から去った者は数知れず。

 その一方、役者やら司会業に乗り出して売れっ子として活躍する者も。そうした彼らと顔を合わせるたびに「アンタ、まだやってんだ」という視線を浴びつつ焦る俺。挫折と屈折の日々の繰り返しに泣けてきます。

 従来の方向性とスタイルを変えよう、そう悩んだこともしばしば。でも、次々とデビューしてくる、強烈な個性を持った若手たちと渡り合える自信はあるのかと聞かれれば、答えはNO!です。そりゃあそうでしょう、俺はもう30代の半ば。今のテレビ番組が求めている笑いの質に応えられるほどの感性、体力は残ってません。ではこの先どうするのか。

 このままのスタイルを貫いていきます。馬鹿にされようが、小学生や老人でも分かるようなネタで、昔ながらのオーソドックスな漫才を。

 俺の見本、そして目標とするのはオヤジさんです。オヤジさんも未だ無名で地方回りが多い老マジシャン。俺が子供の頃はテレビにもよく出演していたし、俺の自慢だった。けれど、漫才ブームの煽りを受けてテレビの世界から遠ざかった。人気が無いわけではない。地方巡業ではウケもよく、人気もある。ただ、テレビ的に映えない、ウケないだけ。

 哀れさと同時に「なぜテレビ受けする芸風を身につけないのか」と、苛立ちもしたし、蔑んだりもした。だから俺はテレビ界に復讐を誓った。俺も芸人としてデビューし、テレビで活躍する人気芸人になり、テレビ関係者を見返してやろうと。ところが、空回りばかりで結局オヤジさんと同じような境遇に・・。

 俺ももう後戻りはできない年齢になった。これまで蓄積した芸風と経験を土台に、ローカルという市場で、息の長いベテラン漫才師を目指します。生活は更に苦しく、家族を泣かせるのは間違いない。でもその家族が、一部のファンが、俺を応援してくれる。

 これまではオヤジさんを遠ざけていたけど、今後、親としてだけではなく、人生、業界の先輩として、色々とアドバイスをお願いします。いつの日か、オヤジさんのマジックと、俺の漫才によるコラボレーションが実現できたらいいよな。(2011年9月18日)

父 65歳:マジシャン
息子 35歳:漫才師




  主人も悩み苦しんでいます わかってください


 お父さん、結婚生活30年目おめでとう。お母さんとこれからも末永く、仲良くお過ごし下さいね。

 先日の真珠婚のお祝いに、私たち夫婦は遠慮すべきでした。私たちが会場に入った途端、兄弟親戚ともに沈黙、私たちとは視線を合わせようともしなかった。後悔してます。

 みんなが沈黙した訳、それは私の主人にあることは分かっています。お父さんが経営する工場が、長年取引のあった信用金庫から融資を拒否され、万策尽きて、年末に自主廃業。頼みの綱から一転、血も涙もない仕打ちを仕掛けてきた信用金庫、そこに勤めているのが主人ですからね。

 従業員10名の生活を守るため、毎日、信用金庫に足を運び、再建について力説したものの、聞いてはもらえませんでした。最後には土下座までし、涙ながらに訴えましたが、これも聞き入れてもらえなかったと、悔しそうに話すお父さん。娘の私も悔し涙を流しました。そして主人に「実家をなんとか救って! 社員の人たちを守ってあげて!」と、みんなの怒りをぶつけたかった。

 だけど、主人も悩み、もがき苦しんでいます。お父さんと同じく支店の上司や担当者に何度も頭を下げ、融資を再開してもらえるよう掛け合ってくれました。しかし、時代の流れなのでしょう、融資基準は相当に厳しいようなのです。それでも食い下がる主人に、「公私混同もはなはだしい。お前はまだ半人前の金融マンだ」と、行員全員の目の前で、叱責される始末です。
主人の気持ちは嬉しいけど、これ以上組織に楯突いたら、それこそリストラの対象にされかねません。私から主人に、工場の再建、融資の件は一切触れないように頼みました。

 これから先も、金融機関による厳しい選別により、力のない企業は淘汰されていくことでしょう。悲しいけど、それが現実のようです。主人も、そうした無力な企業の力になれればと、中小企業診断士の資格を取得すべく勉強を始めました。そして、暇があれば知り合いの企業を訪ね歩き、お父さんや従業員たちの再就職先を探してもいます。

 無口で愛想のない主人ですから、自分からこんな事しているなんて話すはずもありません。だけどお父さんや従業員のことを、私以上に心底、心配しています。それだけは分かってあげて下さい。

 先の話になりますが、年末は実家に戻ってもよろしいでしょうか。主人もそれを望んでいます。お父さんとお酒を飲み交わし、お母さんのお節料理を楽しみにしているんです。口に出さなくて結構ですから、主人にねぎらいのお酒を注いでもらえたら、とても嬉しいです。(2011年9月25日)

父 工場経営:60歳
娘 主婦:28歳