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八戸自由大学第12回講座より抜粋

講座名

  八戸の風土と縄文の暮らし  ~過去から未来へ~


講師 小林和彦氏

小林和彦氏プロフィール 1953(昭和28)年長野県出身。1980年・東北大学大学院修士課程終了(考古学)。その後、八戸市教育委員会社会教育課学芸員補、同市博物館学芸員、同市縄文学習館学芸員、同館長を経て2011年より八戸市埋蔵文化財センター是川縄文館館長。

主な研究テーマ
遺跡から出土する動物遺在体の研究ならびに縄文時代の漆工の研究。最近では八戸市内の平安時代の遺跡から出土した馬、牛の骨を調査。また、縄文時代の八戸市是川遺跡や階上町寺下遺跡の動物骨の調査なども行っている。


講座より抜粋

「風土」とはなにか
風土とはある土地の気候・気象・地質・地味・地形・景観などの総称を指す。和辻哲郎が書いた『風土-人間学的考察』によると、彼は自然環境についてこう述べている。「・・・寒さを感ずるときには我々は体を引きしめる、着物を着る、火鉢のそばに寄る、否、それよりもさらに強い関心を以って子どもに着物を着せ、老人を火のそばに押しやる。あるいは着物や炭を買い得るために労働をする。炭屋は山で炭を焼き、織布工場は反物を製造する。・・・我々は風土において我々自身を見、その自己了解において我々自身の自由なる形成に向かったのである。しかも我々は寒さ暑さに於いて、あるいは暴風洪水において、単に現在の我々の間において防ぐことを共にし、働きを共にするというだけではない。我々は祖先以来の永い間の了解の堆積を我々のものとしているのである」と。

〈スライドでモンゴル、北米のシアトル、八戸市、三重県尾鷲の気候の違いと暮らしを説明>

是川遺跡で分かったこと
花粉化石群と大型植物化石群に基づくと、是川中居遺跡周辺にはクリ林とトチノキ林が形成され、それらの周辺にはコナラ亜属やクルミ属、ニレーケヤキ属、カエデ属、サワシバ、ホウノキなどからなる落葉広葉樹林が広がっていたとみられる。大型植物化石群で多量に産出したニワトコは、花粉化石では稀であることから、周囲に分布していたわけではなく、採取された果実の利用ないし加工後の残渣(ざんさ)の廃棄物と見られる。こうした植物には他にオニグルミ、ヤマグワ、キイチゴ属、サンショウ、キハダ、ヤマブドウ、マタタビ、サルナシなどがあげられる。また草本においてもヒエ、アサ、ダイズ属、ナス属、ゴボウなど生業と関係するとみられる分類群の種実が産出している。

産出した花粉化石群の多くは食用植物からなり、大型植物化石群においても樹木の大半は食用ないし有用植物の果実からなる。つまり、遺跡周辺にはクリ林やトチノキ林を配置して人為的な生態系をつくり植物食を確保していたと見られる。

縄文時代は約1万年以上続いたわけだが、以前はその評価を「発展性に乏しい時代」などと言われた。だが、今はその長期にわたる持続性に高い評価が下されようとしている。他の文明を見渡してみても、長期にわたる森林の伐採、動植物の採り過ぎなどで資源の枯渇、気候変動を招き、破滅へと向かった例があるのに対し、縄文はその永きにわたって時代を持続可能なものにした。

是川遺跡、風張遺跡、そして長七谷地貝塚など、八戸市には多くの縄文遺跡がある。どの遺跡も火山灰に覆われた台地のうえにあり、竪穴式住居を家として暮らしを立てていた。近年、継続的に行われた是川遺跡の発掘調査により、縄文のムラを取り巻く自然環境が明らかになった。豊かな植物資源とそれを利用する技術と深い知識の存在が私たちを驚かせた。素晴らしい造形の工芸品の数々、それを通して見えてくる神々の姿。八戸の風土の基層にはこうした太古の記憶が込められているのだ。八戸の文化はこの風土が生み出したものである。ヤマセの夏、火山灰台地の畑作、豊かな漁場を抱えた漁業の町、雪の少ない冬のスケート、神楽やえんぶり。これらの中にも縄文を解くカギが隠されているのかもしれない。