オジさんの世話になるのも、いいんじゃない

 「一寸先は闇」ってやつですね、親父さん。勝ち組を自負していた我が家族が、見下し続けていたオジさん家族に、まさか負けようとは。いやはや、運と不運は紙一重? 親父さんばかりか、お袋さんと兄貴もさぞショックを受け、傷ついたことでしょう。同情を禁じ得ません。

 リーマンショック前までは、飛ぶ鳥を落とす勢いの大手証券会社に勤め、役員目前だった親父さん。ところがバブル崩壊と同時に、業績低迷が長く続き、子会社から子会社への渡り鳥生活。それでも役員という肩書きと高収入が、かろうじて親父さんと家族の「誇り」を支えていた。

 しかし、ここに至り、子会社が新興のサービス会社に吸収されてしまう始末。しかもその会社というのが、オジさんが勤める会社。つまり、オジさんの軍門に下ってしまった。オジさんの下で働くなんて、プライドが許さないだろうし、お袋さんや兄貴も猛反対するのは目に見えている。

 実の兄弟とはいえ、親父さんとオジさんは正反対の性格、生き方だったよね。幼い頃から親父さんは真面目で成績優秀。一方のオジさんはチャランポランの劣等生。国立大学に入学した親父さんに対して、叔父さんは高校を中退して、ヒッピーというんですか、アメリカを始めとする海外を遊び歩く青春。帰国してからも転職に次ぐ転職で、誰もが「いずれは転落の人生を歩むだろう」と考え、自他ともに落ちこぼれを認める俺以外の親戚は、オジさんとの行き来、付き合いを極力控えた。

 オジさんが結婚したのは10年前。相手もやはり高卒。しかも子持ちのバツイチ女性で、その女性と安酒場を開業。これで益々、オジさんに対する評価は下がる一方となった。

 俺はオジさん家族って好きだよ。家族揃って暖かいし優しいし。人間を見下すこともしないしね。そこが我が家と違う点だろうな。だからオジさんを慕って酒場には色々な人たちが集まる。そのうちの一人が、叔父さんが勤めることになる会社の会長だった。人柄だけでスカウトする会長も会長だけど、その期待に応え、会長の筆頭秘書にまで昇進するなんて、ちょっとしたシンデレラオヤジだな。これはもはや人徳のなせる業、強運の持ち主としか言えません。そしてオジさんの店を任せられたのが、これまた落ちこぼれのオレ。

 オジさんは今でも親父さんのこと慕っているよ。「子供の頃から兄貴には迷惑の掛け通しだったからな。ここいらへんで恩返しができたらな」って、親父さんと一緒の会社で働くことを楽しみにしてる。こんなオジさんなんて、世界中探したっていない。同時に俺は世の中で成功する秘訣は何か、それをオジさんに教えてもらったような気がする。愚弟に世話になるのもいいんじゃない?(2011年10月2日)

父 57歳:証券会社
息子 28歳:居酒屋店主


  就活に苦しむ弟を、見守ってやろうよ


 弟が私のアパートに押しかけてから半年が過ぎました。バイト生活に明け暮れるアイツだけど、諦めることなく就職活動を続けています。お父さんは不満だろうけど、もう少しアイツのこと、見守ってやろうよ。

 大学を卒業したものの、これといった就職先も見つからず、田舎でフラフラした生活を続けていた弟。世間体が悪いし、どこでもいいから早く就職してくれと、顔を合わせれば説教・説得するお父さんに、ついに弟もキレて家出をする始末。私が迷惑を蒙る結果となりました。弟とはいえ、狭いアパートに男が同居なんて、ウザいったらありゃしない。

 お父さんが怒るのも無理はありません。東奔西走してようやくコネで見つけてきた会社。面接にまでこぎつけたのに、アイツったら蹴っ飛ばすんだもの。この不況の世の中、何を考えているんだろう。私だって最初は偉そうに説教たれましたよ。

 だけどアイツの考えを聞くうち、アイツなりに悩んでいることも分かりました。大学四年間の授業料こそ奨学金とバイトで払ってきたものの、高い入学金等もろもろはお父さんが負担。それも好きな煙草とお酒を節約して。それをアイツは感謝すると同時に重荷に感じているんです。さらに、お父さんが薦める会社は、アイツが好きで選び、四年間苦労して学んできた専門知識が生かせない。

 アイツにも意地があるんです。いつになるか分からないけれど、苦労して自分が学んできた専門知識を活かせる仕事を見つける。それが、お父さんにも喜んでもらえる道だと。

 郵便受けに、返送されてきたアイツ宛の履歴書を見るたびに、私も悲しくなってきます。それになかなか寝付かれないのでしょう、深夜、突然起きて溜息をつく姿を何度となく見てます。それでもアイツ、弱音なんて吐きません。何かあれば泣きついてきたのは昔の話。いつのまにかアイツ、大人になっていました。

 初心を貫徹させるって、なかなか難しいですよね。誰もができることじゃありません。ともすれば現実に押し流され、夢も希望も心の中に閉じ込めてしまうものです。私もそんな寂しい大人の一人。だからこそアイツが懸命に頑張っている姿勢に、ついつい「負けるな、気合いだ。男だったら信念を貫け」って、応援したくなっちゃうんです。私もやはりアイツの姉だったと今更ながら自覚。

 お父さんも今の仕事を見つけるまで、紆余曲折を経たでしょう。ならばアイツの気持ちは分かるはず。青春時代を振り返ってみてください。何事に対しても安易に妥協したりしなかったでしょう。若いうちに苦労することで、人間的にも成長していくんだと思うよ、我が家の長男は。(2011年10月9日)

父 55歳:旅行代理店
娘 28歳:団体職員


  司法試験の受験は、今回をラストチャンスとします



 先日ははるばる北海道から、家族総出で上京してくれたにもかかわらず、これといったもてなしもできず、申し訳ありませんでした。

 親父さんたちに付き合えたのは、わずか数時間だけ。なんて冷たい息子と嫁だと思われたでしょうね。僕たちもできることなら、時間が許す限り一緒に付き合い、歓談したかったのですが、仕方なかったんです。現在の僕たちには時間的、金銭的、精神的な余裕というものが悲しいほどありませんでしたから。

 僕たちの生活ですが、相変わらず貧乏暇なし状態。僕は司法試験合格を目指しての勉学の日々で、カミサンは、僕に勉強に打ち込んで欲しいからと、朝から晩までパートの掛け持ち。ここ数年間は、正月の三が日しか休んだことがありません。なんでこんな甲斐性なしを選んだのかと、疲れて帰宅するカミサンを見るたび、重荷に感じます。その一方で、何が何でも司法試験に合格し、安定した楽な生活を味あわせてあげたいと、明日の活力と励みに変えてます。

 司法試験を受験し続けて去年で8年目。カミサンとも相談し、来年が最後のチャンスだと決めました。これ以上、生活を犠牲にはできないし、僕自身も限界です。それに、30歳を過ぎてからの就職となると、おいそれとは見つかりそうもないご時世。ここらが潮時かもしれません。僕も自分なりにベストを尽くし続けてきたから、不合格になったとしても、後悔はありません。

 「成功を確信することが、成功への第一歩である」とは、親父さんの好きな言葉あると同時に、僕の心の支えでもあります。中年を過ぎてから農業の道を選び、独自の工夫と試行錯誤の末に、米、野菜、果物と、作物の種類と耕地面積を増やしたばかりか、その品質の高さを評価されて現在に至ったのは、この言葉があったからでしょう。そんな親父さんを僕は心から尊敬し、司法試験に合格することで、その言葉を実践しようと頑張ってきたのですが・・。

 この8年間の努力は無駄だとは思ってません。飽きっぽい性格だった僕が、いつしか粘り強くなっているとカミサンにも言われました。この粘り強さと、親父さんの座右の銘があれば、どんな境遇にあっても生きていけそうな気がします。

 両親も兄弟もいないカミサンの望みは、子供のいる家庭。貧しくても暖かな家庭が一番の望みだそうです。司法試験に合格、不合格に関らず、その小さな願いを叶えてやりたい。そのためにも僕がしっかりし、生活した生活基盤を築いていかないと。

 最後の受験まであと僅か。僕もカミサンも「成功を確信しつつも不安を抱いて」のラストスパートです。(2011年10月16日)

父 60歳・農業
息子 30歳・無職




  劇団の仲間たちと強く明るく生きていくよ


 風邪引いたんだってね、お父さん。風の原因は私にも責任があるかもね。私が出演したテレビドラマを観て、唖然呆然、絶句したまま自分の部屋に閉じこもり、しばらくは出てこなかったって、お母さんが心配してたもん。出演場面にショックを受けて、悪寒でも感じちゃったのかな。ごめんね。

 無理もないか。セリフ無しの殺され役だもんね。ストーカーの男に待ち伏せされ、林の中に引きずり込まれ、乱暴された挙句に絞殺。オッパイこそ見えなかったけど、ブラジャーはギリギリまで下ろされ、スカートもはだけて太ももバッチリ、白い下着がハッキリと映っちゃったよ。お母さんの言う通り、確かに嫁入り前の娘がすることじゃないかもね。

 だけど嬉しかった。セリフ無しだけど、念願のテレビドラマに出演できたんだもん。それに監督から誉められちゃった。「キミさ、殺され方がウマいよ。今後もヨロシクね」って。そのうち、セリフ入りの役が舞い込むかもよ。私の未来もようやく開けてきたってカンジかな。

 学校の人間関係に疲れて高校中退。無気力状態が続いて引きこもり。挙句の果てにはリストカット。この数年間は地獄の我が家でしたね。共に弁護士のお父さんとお母さんは、私をなんとか救おうと、何人もの精神科医に診察してもらったけど、無駄だった。お父さんとお母さんの「世の中の勝者になれ」って言葉が、私の心と体を束縛し続けていたから。そんな呪縛から解放してくれたのが、今の劇団と仲間たちだった。

 劇団名だけじゃなく、座長もメンバーも無名で超マイナー揃い。だけど優しい。笑顔が絶えない。演技することがこんなに楽しいなんて思ってもみなかった。それもこれも仲間たちのおかげだよ。せっかくアルバイトやエキストラで稼いだお金も、公演に投入してはそのたびに赤字。苦労と絶望の日々なのに、誰も劇団を去ろうとはしない。それどころか誰かが誰かの面倒を見たり、見てもらったりしながら、明日を夢見て頑張っているんだ。仲間は私の誇り。

 お父さんから見れば、私たちは立派な「敗者」だね。花でいうと「雑草」だね。でもね、仲間たちは強く美しく逞しいよ。人生の哀歓をどう演じるべきか、主役をどう引き立てるべきか、毎日、真剣になって論じているし、演じてもいる。それで分かったんだ。私たちは「雑草という強者」だって。雑草ってね、その魅力がまだ発見されていない植物のことなんだよ。無限の可能性を秘めているという意味なんだよ。私たちはこれからも挫けない。どんな試練が待ち受けているか知れないけど、自分たちの魅力が開花するまで決して人生を諦めることなんかしない。(2011年10月23日)

父 53歳・弁護士
娘 24歳・劇団員





  忍者の里での修行、楽しくやってます


 忍者の里、伊賀上野市にやってきて、もうすぐ三ヶ月になります。元気でやってますか、親父さん。

 僕のほうは、バイトと忍者修行に明け暮れる毎日です。忍者と忍術の研究をする方々のお世話で、伊賀上野の歴史から、忍者独特の走り方、歩き方、忍者刀や手裏剣の基本的な扱い方、各種心身の鍛え方などを教わり、新鮮な感動を味わってます。暖かくなったら、池など、水の上を歩く訓練もしてくれるというので、初夏が待ち遠しくてたまりません。

 僕の先輩に高校生の男の子がいます。最初に会った頃は超のつくクソナマイキな野郎で、なにかあると喧嘩を吹っかけてくる。ある日ついにキレて、殴りつけてやろうと思ったら、諭されてしまいました。「忍者失格。忍者とは相手を観察し、相手との間合いを上手に取り、無用なトラブルを避けなければなりません。加えて相互を活かすことのできる人間のことです。喧嘩を売られてそれを買うなんて、大人としても失格」。

 一本取られました。忍術とは奥が深いのです。これは他の武道、武術全般にも通じることなのかもしれません。それからは彼のことを師匠と呼び、勉強と鍛錬を通じて様々なことをお互いに学びあっています。

 「気楽なもんだ。忍者でメシが喰えるか」。親父さん、こう思っているんでしょうね。そして僕の顔を見たら「今からでも遅くない。体育教師か警察官の道に進め」って、そう言うに違いありません。でも、僕には体育教師や警察官の道よりも、忍術を含めた武術全般を極めたい、それ以外は考えられないんです。

 親父さん、お袋さんとも体育大学の教授。健康そのものの両親なのに、僕は生まれついての虚弱体質。それがもとで自閉症、登校拒否に。そんな僕を救ってくれたのが、空手、日本拳法、居合い、杖術など、様々な武術と先生方でした。将来は両親と同じように体育大学に進み、両親が望む体育教師あるいは警察官となって、世のため人のために尽くしたい、そう強く思っていたのですが。

 どうやら僕には、体育教師あるいは警察官の道は向いてないことが分かりました。先輩方の話しを聞いて判断しました。それに、就職したらこれまで学んできた武道と縁遠くなるのではとの不安もありますし。それよりも先生方から教わった「生活全般のなかに武術を活かしつつ、自分を磨くこと」を実践したいのです。

 そこで考えたのが、これまでの武術に加えて、忍術など未知の武術を取り入れた、僕ならではの総合武術の確立です。その総合武術を通じて、僕のように虚弱体質、人間関係に悩んでいる子供たちの一助となれればと。武者修行を見守ってください。(2011年10月30日)

父 53歳・大学教授
息子 23歳・フリーター