「経営」という落とし穴  乗っ取り計画を阻止せよ!

 脳卒中、ガン、心臓病、動脈硬化症、高血圧症、肝臓病、糖尿病。日本人の死因の約半分を占めるのがこれら成人病である。なかでも成人病の横綱といわれるのが糖尿病で、日本国内の糖尿病患者数は690万人、予備軍を含めると1400万人ともいわれている(1997年厚生省調べ・当時)。

 「糖尿病は体を弱らせ、重い合併症を招きやすい怖い病気なのに、日本人はその認識が甘く、なかなか生活を改善できません。しかし食事や運動をコントロールすることで進行は確実に抑えられる」。こう語るのはP社社長のS氏(42)だ。

 同社は糖尿病を始めとする成人病患者、腎臓病患者など、自宅療養を余儀なくされた人々に対し、「健康管理職」を宅配するベンチャー企業である。創業は13年前(昭和63年)。現在、首都圏を中心に多い日で一日1000件(2000食)の利用があり、その85%が糖尿病患者だ。加えて65歳以上の高齢者が顧客の90%を占めている。

 この健康管理食だが、当日の夕食と翌日の朝食の二食分を宅配。二食合計でエネルギーを1100カロリー前後、塩分を4グラムに抑えているのが特長。加熱調理した料理は真空パックに詰め、さらに加熱殺菌するという念の入れようだ。体の弱った病人や高齢者に食中毒は大敵だからだ。ビジネスを始めた当初は温かい弁当を皿の容器で配達していた。だが利用者は届いたからといってすぐに食べるわけではない。温かいから冷蔵庫にも入れない。そのため雑菌が繁殖しやすくなることに気付かされた。自分が食べたいときに自由に食べてもらうにはどうするか。しかも衛生的で安全な方法で。添加物を使用することも考えたが、それでは病人や高齢者の体によくない。思いついたのが当時としては珍しい真空パック方式だった。O-157が世間を騒がすだいぶ以前のことである。

人生最大の挫折と苦悩

 健康管理食は平日、毎日届けられる。会社が定休日の土日は金曜日にまとめて届ける。料金(税別)は20セットコース(週3日以上)で一日分2500円。30セットコース(毎日宅配)で一日分2400円。ほかに試食コースとして1セット2800円などのほか、医療用補助食品の宅配サービスも実施している。

 病人や高齢者の食事というと、薄味で味気ないものという印象が強い。S氏もそれは否定しない。「カロリーや栄養面を考えて食材を選び、味付けをするわけですから、それは仕方ない。薬だと思って食べていただきたい。しかし工夫はしています。調理師、栄養士と共に、利用者に楽しく食べてもらうため365日すべて異なったメニューを考えています。味噌汁の具には月に何度か同じものを出すこともありますが、たとえば鯵の干物を1年に二度出すことはありません。年間のメニューができていて、この方法で10年以上やってきている。これが弊社の強みでもあるんです」。

 東京杉並にある本社工場は同社の生産拠点だが、近々、町田市に拠点を移す。新規事業として病院および老人ホームなどの福祉施設向けの給食サービスを展開するためだ。居住者の年齢層が高く、病院・福祉施設が多い多摩ニュータウン周辺は格好のエリアである。ゆくゆくは1万食以上の規模にまで高め、ビジネスの拡大と共にこれまで以上に成人病の抑制に貢献したいとの願いが新拠点には込められている。

 同社のビジネスに対し、平成6年、社団法人ニュービジネス協議会は第五回ニュービジネス大賞部門における「奨励賞」を授与した。「アイデアマン」あるいは「熱血漢」というのが関係者のS氏評である。だが、アイデアマンであり熱血漢も、若かったのだろう、「人を見抜く力」が欠けていた。そのために人生最大の挫折と苦悩を味合わされたのである。もし開き直らなかったら、今のS氏と同社は無かったに違いない。

よき片腕は元T商事営業マン

 「おたくの会社さ、大丈夫かい? 倒産するんじゃないかって、もっぱらの噂だよ」。
 電話の相手は事業開始当初からの取引先だった。なにを冗談言っているんだろうと思ったが、佐直氏は同じ内容の電話をその後、何度となく受けたのである。ほどなくして社員18名のうち15名が突然会社を去った。行き先はいずれも同じ、S氏が信頼していた幹部A、彼が設立した会社である。

 Aが目論んだ会社乗っ取り計画は水面下で極秘裡に進んでいたのだ。結果、S氏のもとに残ったのは3名の社員と給食を製造するパート30名ほど。それにAによる7000万円近い損害だった。取引先の電話ではないが、「本当に倒産するかもしれない」。思いもよらぬ裏切り、背信に、怒りと悔しさ、情けなさが体中を駆け巡った。震える手で煙草に火をつけ、乾ききった口元に寄せた。94年の夏のことである。

 AがS氏の前に現れたのは、いまのビジネスを始めて6年目、93年の暮れも押し迫ったころだった。

 「Aは弊社の専務からの紹介ということでやってきました。この専務というのは私の前の妻で、事情があって離婚したのですが、離婚後もよきビジネスパートナーとして手腕を発揮してくれています。彼女の紹介だから間違いないだろうと。第一印象も悪くなかったし、それに私と年齢が近いせいもあり、話も合ったんです。とにかく話術が巧みでしたね。私が望んでいた人材は、自社発行の通販雑誌に載せる広告取り、つまり営業部門の人間でしたから彼はまさにうってつけ。いい人間を紹介してくれたものだと専務に感謝したいぐらいでした」。

 そう思う一方で、心にひっかかる点もあった。それはAの前職である。履歴書には記載されていなかったが、T商事に勤めた経験があることを、Aは自ら正直に語った。T商事といえば戦後最悪といわれた詐欺商法企業である。ペーパー商法で言葉巧みに高齢者を食い物にし、最後は最高責任者の惨殺で幕が下ろされた事件は今も記憶に生々しい。その悪徳企業でAは営業をしていたのだ。「大丈夫だろうか」。S氏ならずとも心配に違いない。だが、Aの口から出たのは反省の弁と後悔の念だった。

 「確かにT商事ではお年寄りに悪いことをしました。言い訳などするつもりは毛頭ありません。自分が犯した罪の重さは誰よりも自分が痛感しております。そしてなんとか罪を償いたいと考え悩み続けてきました。そんなときに佐直さんの会社を知ったんです。これは神のおぼし召しではないかと驚きました。この会社なら老人の方々、あるいは病気に悩む方々を通じ、これまで私が迷惑をかけてきた人々にも恩返しができるのではないか、そう直感したのです。この身を捧げるつもりで頑張りますから、どうかひとつ」。

 真摯な態度にS氏の心にくすぶっていた不審は次第に消えつつあった。「それに人間は生きている間、間違いはするもの。その間違いを反省し、悔いて新たな人生に活かすことこそ大事」だという思いも芽生えた。いずれにしろ専務から事前に話しを聞いたのだろう、あるいは発行を始めた通販誌に目を通してのことだろうか、同社のことはある程度は知っていた。そしてS氏の考えも理解しているかに見えた。

 「将来に向けて人材を充実させる大事な時期でしたから、彼ならば専務同様、よき片腕になってくれるに違いないと、ほとんど即決で協力してもらうことにしたのです」。

「宅配している食事に、変な薬を入れてるんじゃないか」

 パイロットになるのが夢だった。しかし視力の面で断念し、S氏はその後、様々な食関係の仕事に就く。中華料理以外の調理はほとんど経験した。やがて専門学校を経て電子回路の設計などに携わっていたとき、母親が糖尿病で倒れて入院をする。

 「母親の糖尿病は20年来のもの。入退院を繰り返しては病状を悪化させていきました。完治しないまま退院をさせる病院に疑問を抱き、問いただしたことは一度ではありません。しかし病院の回答はいつも決まっていた。『糖尿病は完治することはない。自宅できちんと食事療法をして進行を抑えることしか手はない。その食事療法をしっかり守らない患者が悪いのだ』と。

 確かに母親は教育入院という形で、食事のコントロール、食事指導などを受けたし、自宅に帰ってからは病院でもらったレシピをもとに食事も作りました。だけど長続きしません。というのも糖尿病の患者は常にダルさを抱えているし、気力、集中力にも欠しい。もし主婦が糖尿病患者なら、様々な家事をこなしつつ家族とは異なる自分用の食事をつくらなければならないのです。これは大変な労力です。また体の不自由な独居の高齢者ならなおさらのこと。指定された食材を買い求めに外出し、病院から渡されたカップでいちいちグラムや量を計り、カロリー計算しつつ作らなければならない。そんな面倒なことができると思いますか。ついつい長年親しんできた料理、食事に走ってしまっても不思議ではないんです。こうした事情も汲んでくれない病院、医師に対しては悔しさと憤りを覚えた。と同時に、母親と同じ境遇に泣いている人たちがどれだけいるんだろうと考えたとき、それならばその人たちの役に立つ今の仕事を起こしてやろうと決めたわけです」。

 最初は一般の家庭にフランス料理を宅配することから始めた。これは病人食宅配の準備のためである。約1年でコツらしきものを習得、本業に切り替えることにした。だが船出は散々だった。新聞の折込広告を120万枚もまいたが、問い合わせはたったの25件。3000件はあると期待していただけにショックは大きかった。無理もない、世の中はバブル景気に浮かれ、誰もがグルメ料理に舌鼓を打っていた時代である、地味で質素な健康弁当に注目する人など皆無に近かった。

 「注文が来ないのならこちらから出向こうと、病院への飛び込みセールスを始めたこともあります。もちろん糖尿病の患者を紹介してもらうためです。でも行く先々で門前払い。どこの馬の骨ともわかない会社ですからね、当然といえば当然でしょう。仕方ないから獲得した25件のお客を相手にバイクで宅配を始めたんです。都内と神奈川県の広い範囲を、私を含めて6名の社員が盆暮れもなく走り回ったものです」。

 採算ラインは100件である。だが一向に増える気配はない。スタッフの人件費を含め、月々の赤字は多いときで200万円を越したこともある。こうして事業開始から2年で貯金を食いつぶし、翌年はとうとう赤字へと転落した。そして事業からの撤退を真剣に考え始めたときである、一本の電話が鳴った。医師からである。「あなたが宅配している食事についてだけど、変な薬を入れているんじゃないか。ちょっと来てくれ」。S氏は血相を変えて医師の元へと駆けつけた。

 医師の話はこうである。「受け持ちの患者の血糖値を測ってみたら、随分と下がっている。聞いてみるとあなたのところの食事を食べてからだという。どんな食事なのか説明を聞きたい」というのだ。S氏は食事セットを持参し、中身について説明したところ、その医師は感心したようにつぶやいた。「なるほどねえ、よく考えたもんだ」。
 
 この一件から事業の流れが変わった。P社の健康食を信用した医師が、退院する患者に同社の食事を推薦してくれるようになったのである。これを機に他の病院からの紹介も増え始める。グルメブームも一段落し、折からの健康志向も追い風となり、多いときには月200件の申し込みがあった。

 固定客は450件、年商も1億5000万円にまでなった。社員も栄養士、調理師を中心に18名、パート35名といっきに増えた。勢いに乗り、介護サービス機関、医療機関の紹介をテーマとした通販誌も93年の暮れに創刊した。一万部を発行し、病院や区役所などに無料配付、その反応を待っていた矢先、Aが登場するのである。共に若くして苦労を重ねた点、社会的な貢献を目指していることが分かり、S氏はAを信用してしまう。
 

Aの会社乗っ取り計画が始動
 
 2号目の通販誌発刊の準備に取りかかると同時に、Aはすぐさま行動を起こした。薬品会社、銀行など200件近くの広告予約を取り付けてきた。2号目は約100ページの予定だから取り過ぎといってもいい。掲載したのはそのうちの70件だが、Aの実力にはS氏は舌を巻いた。さすがに手馴れている。S氏の満足げな表情をAは見逃さなかった。そして次の行動へと打って出たのである。

 「実は私は5名ほどで会社を運営している。その会社はプロの営業マンたちの集まりで、どんな製品でも売る自信があるし、どんな広告でも取れる。どうでしょう、私たちの会社と広告営業に関して契約を結んでもらえないでしょうか。もちろん彼らもSさんの主義、主張に賛同、共感する人間ばかりです。Sさんを通じて高齢者、病人の役に立てればと願っているんです」。

 突然の申し出だった。専務に問いただしたところ、彼女は承知しているという。結局、渋々ではあるが佐直氏も了解する。創刊号の反響も大きかったし、病院などからの紹介、患者同士のクチコミにより注文が増え続けていた。その対応に追われて営業までは手が回らない状態にあった。月の売上も1300万円ほどになっていたし、収入増も期待できる。広告営業の仕事を丸投げしても心配はないだろう。そう思い、月々100万円を支払うことにした。しかしこれが裏目に出たのである。3号目の準備に取りかかった頃から雲行きが怪しくなってきた。

 「広告営業に専念するものとばかり思っていたのに、Aは会社の運営にまで口をはさむようになったのです。『これからは高齢者社会になるのだから、健康食の宅配だけでは面白くない。老人相手にもっと金にモノを売ろう』と。耳を疑いましたが、彼らの本当の狙いは実はここにあったのです。しかも『私も経営に参画したい。できれば株主にして欲しい』とまで言う。挙句の果てには『帳簿を見せろ』です。これには呆れた」。

 専務を呼び、話が違うじゃないかと抗議したが、彼女は押し黙ったままだ。そういえば社員の様子も変だ。妙によそよそしい。専務と大半の社員がAの新会社に移籍し、佐直氏に倒産の危機が訪れるのは、ほどなくしてからだ。

 Aの会社乗っ取り計画を簡単に説明するとこうなる。Aの真の狙い、それはやはり老人相手に詐欺まがいの商売をすることにあった。それも一から始めるよりはすでに看板、流通を持ったところを乗っ取ったほうが早い。そこで設立して間もないS氏の会社に目をつけた。Aの言いなりとなった専務は会社の株式の30%を保有している。Aが21%の株式を取得すれば乗っ取りは完了だ。だがSS氏の抵抗でそこまではうまくいかず、人材を引き抜き、ノウハウを持ち去るのである。

 それにしても、離婚したとはいえお互いに信頼していたはずの専務が、なぜいとも簡単にAに丸め込まれたのだろう。そして社員までもが。

 「私に対する不信感を植え付けたのです。それも時間をかけてじっくりと。私が仕事にのめり込み、多忙であることをいいことに、執拗な説得工作を行っていた。たとえば専務に対しては『S社長は事業の拡大を望んではいない。現状で満足している。それに健康食なんてそんなにお金にはならないし、いつおかしくなっても不思議じゃない。先細りは目に見えている。専務だって苦労して育て上げた会社を潰したくはないでしょう。それなら私たちと組んで、新しく出直しましょうよ』と。これで専務もグラつき、会社の印鑑を持ち出す寸前までになっていたんです。

 社員に対しても同様の工作が繰り返されていた。腹立たしいのは私の父親を利用されたことです。父親は心臓病と高血圧が原因で72歳で亡くなるんですが、葬儀に出席したAが社員に『不思議な夢を立て続けに見るんだ。社長のお父さんが枕もとに立って、息子と会社のことを頼むと訴えるんだよ。気になってね。もしかしたら社長と会社にこの先、嫌なことが待っているかもしれない』と。これで社員の心を掴んでしまうんです」。

 恐れ入ったことに取引先にも手を回していた。「倒産は時間の問題。私も債権者の一人として弱っている。だがなんとかして新しい会社を設立した。だから私の会社と取引をしたほうがいい」と。

 取引先からの問い合わせが殺到しているなか、顧客名簿を手土産にAと専務、社員たちは会社を後にする。閑散としたオフィスに呆然と佇むS氏。そこに電話が鳴り響いた。重い足取りで電話を取ると、電話はすぐに切れた。こんなことが何回も続く。故障かと思いNTTに調べてもらった。すると「この電話は転送の状態になってますね」。転送先はAの会社だった。

このまま顧客を見捨てるわけにはいかない

 Aが集めてきた広告の多くは未収に終わった。それにAはS氏に隠れて様々な経費を使い込んでいた。加えてAの会社に支払った営業委託代金など、合わせて7000万円近い損害。会社を畳もうか、自己破産しようか、悩み続けた。

 「その一方で身を引いたところでどうなるとの思いもあったんです。顧客名簿こそ持ち去られましたが、その顧客がAの会社の利用客になるとは到底思えない。事情を知った取引先すべてが支払を待ってくれるというし、応援もしてくれるという。それに工場の従業員たちもAの引抜には最後まで抵抗してくれた。商品(健康食)はいつでも作れる状態にあったんです。一から再スタートと考えればいいかなと」。

 ふと、母親の姿が浮かんだ。父親が亡くなった翌年、追うようにこの世を去ったその母親に、「糖尿病患者たちの役に立つ仕事をしたい」と打ち明けたとき、マッサージ用の椅子に弱々しく横たわった母親は、声を出すかわりに笑顔を浮かべて頷いてくれた。一人息子を可愛がってくれた母親への、最後の親孝行になるかもしれない。事業を断念したら、母親ばかりか父親も嘆くに違いない。

 顧客のがっかりする姿も想像できた。自ら配達員として各家庭を訪問したとき、とても歓迎された。食事を待ち焦がれていたと同時に、話し相手が来てくれることを待っていたのだ。体の動きが不自由な高齢者のなかには、配達した食事を食器に移し替えることができない人、温めることもできずにパックのまま食べるしかない人たちがいた。配達を辞めたらこの先いったい誰が話し相手に、誰が面倒を見るのだろう。また病状が思わしくない患者にはいつでも救急措置が施せるよう、あるいは緊急時の連絡先などを常に携帯している。単なる食事の宅配、ビジネスを超えた事業をしていることを再確認することができた。このまま顧客を「見捨てる」わけにはいかない。

 再スタートにあたり、残った社員やパートを前にこれまでの経過を説明しようとしたが、「もう分かっているからいいですよ」。「嫌な連中が辞めてくれてせいせいした。これからは仕事に専念できる」。「社長、これで本当の味方が誰だか分かったでしょう」と、励ましとも慰めともつかない言葉を投げかけてくれた。雨降って地固まるではないが、会社は以前より活気づいた。また7000万円近い損害も1年ほどでなんとか穴埋めすることができた。新規の顧客が増えたし、なによりもAたちに支払っていた人件費が浮いたのである。だが、以前のように軌道に乗せるまでは数年を要した。

 それにしても、顧客名簿まで持ち出しながら、S氏の顧客にはなんらの影響も出なかったのはなぜなのだろう。

 「後に復職した専務に話しを聞いて納得しました。Aの会社はウチと同じく宅配事業を手掛けたものの、扱う食事が異なっていたのです。彼らのは健康食ではなくダイエット食だった。あるテレビ番組の健康コーナーで彼らの食事が紹介されるやいなや、申し込みが殺到、あっという間に3000件もの顧客がついたのです。ですから私の顧客に手を出す必要なんかなくなった。私としても意地があり、『これまでのことは見逃すが、私の顧客に手を出したら法的手段に訴える』と釘は刺しておきましたけどね」。

 ダイエット食が軌道に乗り、不要となったのが引き抜かれた元専務、元社員たちである。追いたてられるように新会社を去り、専務以外の社員たちの消息は分からないという。

 Aの会社だが、4年ももたずに自己破産した。いい加減な経営内容、食事内容に加え、詐欺まがいの商法が災いしたのは明らかである。またAに対してS氏は7000万円の損害賠償請求の訴訟を起こしたが、裁判所から和議を申し立てられ、50万円という僅かばかりの金が戻ってくることになった。だがこの僅かな金さえいまだに振り込まれていないのだから呆れる。

継続は力なり

 「あの出来事では私に人を見抜く力が欠けていたことを痛感しました。これは今後も私の大きな課題になることでしょう。そもそもなぜAのような人間に付け込まれたのか。アイデアは自分でも優れていると思うし、事業に賭ける情熱も人一倍強いと思う。その一方で、不得意な経理面、営業面は誰かに任せてしまおうという意識も強かった。これがAを呼び寄せてしまった。経営者には全般に目配りができる能力と共に、人を見抜く力を養うことは必須条件ですね。そうして信頼できる優秀な人材、片腕として育てていかなくてはいけない。

 こんな目に会うのは一度で十分です(笑)。そのために会社を潰さないシステムを構築中ですから。たとえば手形、小切手は絶対に切らないことにしているとか。これからも苦しい場面、辛い場面に遭遇すると思いますが、とにかく諦めないことですね。継続は力じゃないけど、コツコツ真面目にやっていれば、誰かが手を差しのべてくれる。そんな気構え、心構え、開き直りがイザというときに役に立つ。これは私の実体験ですから」。

※ この記事は2001年に発行された別冊宝島Real020号「敗者復活 いまだ会社再生の途上にて」かのものです。固有名詞、数字などは当時のものです。