八戸自由大学第14回講座より抜粋

講座名
  八戸浦”くじら事件”と漁民  事件を語る唯一の裁判記録を紐解く


第1部 講演 講師・岩織政美氏(元市議会議員)

岩織氏プロフィール 1935年八戸市湊町生まれ。51年日東化学工業(株)八戸工場入社・私立日東高校卒業。58年日本共産党入党。79年八戸市議会議員当選(6期)。日本国民救援会八戸市部長。八戸医療生協顧問。町畑塾塾長。著・編著に「永嶋暢子の生涯」「永嶋暢子著作集」「湊トンネル・浜の街」「海の賛歌・浜の風」「啄木と教師堀田秀子」など。

第2部 座談 座談者・岩織政美氏  駒井庄三郎氏(八戸酒造(株)代表取締役)

駒井庄三郎氏プロフィール 1946年生まれ。75年陸奥男山蔵元七代目駒井庄三郎の養子となる。88年七代目死去により八代目庄三郎を襲名。現在八戸酒造株式会社代表取締役社長。八戸市物産協会会長。「湊の未来を創る会」「湊地区再生まちづくり促進協議会」を設立。


「八戸浦くじら事件」の概要

八戸浦くじら事件とは、1911年に1000人を超える漁民が決起した捕鯨会社焼き討ち事件。会社が処理施設の能力をはるかに超えてクジラの解体処理を行ったため、血や油脂で沿岸が汚染され漁民に打撃を与えたことへの、激しい抵抗運動であり、当時としては国内で最大規模の漁民闘争といわれる。

 事件は明治44(1911)年に起きた。当時、鮫村にあった東洋捕鯨(株)会社八戸事業所に湊、小中野、白銀、鮫の漁民約1000人が押し寄せ、建物を破壊したり、焼き打ちなどの襲撃に打って出たのである。なぜ彼らは暴挙に訴えたのか。それは3年前に遡る。東洋捕鯨が八戸に会社を設立する計画が持ち上がり、地元の有力者も誘致に積極的になった。だが、漁民たちは鯨解体にともなう汚水・汚染による漁業への影響を心配、それを訴えても東洋捕鯨からは具体的な解決策は示されず、操業が開始されたのである。操業時から問題は噴出。東洋捕鯨が約束に反して鯨の血油を海に流したり、不当に操業期間を延長したため漁民の怒りは爆発する。棍棒や丸太、鉄棒などを手にして東洋捕鯨を襲撃、これに対して会社側と警官が応戦、まさに大乱闘となった。これにより漁民2人が死亡、多くの重軽傷者を出す事態となった。翌年の明治45年、漁民など41名が懲役6年から8年の有罪判決が言い渡されたものの、明治天皇の崩御により全員が特赦を与えられ自由の身となった。事件後、東洋捕鯨は非を認めて漁民らと協議の末に操業を再開、大正15年まで事業は継続した。

 岩織氏は市議の時代に関係者が保存していた裁判記録の保存復元に尽力し、復元された裁判記録を丹念に読み直して、この事件を「公害反対、沿岸漁業権の確保、生活擁護、そして人権擁護があった」と評価し、漁民の怒りと行動の特徴を今回の著書で解き明かしている。

 事件当時、酒を提供して決起した漁民を励ましたとして地元の醸造元・六代目駒井庄三郎氏が有罪判決を受けたが、その裁判記録が今日まで保存されていた。記録を提供した八代目駒井庄三郎氏は、「浜を守るための事件だった」とコメント。

 各種資料などを検証した結果、事件は用意周到な計画のもとで実行され、摘発された漁民は検事の取調べに首謀者を明かさないなど、結束して行動したことが明らかにされた。また、闘争の指導者が吉田契造組合長であったにもかかわらず、公判で吉田組合長は事件への関与を否定し、無罪に。その裏には漁民が結束して吉田組合長を守るため口を閉じたことが判明した。