お父さんのブログ、それってヤバいかもよ

 
 お父さん、ブログ読んだよ。あのパソコン嫌いだったお父さんが、一年かけてパソコンのイロハを覚えたのには感動したけど、まさかブログデビューまでするとはね。驚き。

 だけど、もっと驚いたのはブログの内容。プロフィールからして嘘だらけ。年齢は53歳なのに35歳だと。細身で長身、タレントの誰かさんに似てるって、どこがじゃい。アンタが似てんのは高木ブーさんでしょうが。バレたらどうすんの?

 「オヤジでデブだってこと書いたら、女の子から返事がこないだろう」って、しょーもねえこと言ってんじゃないよ。ブログやり始めたのは女の子が目的かよ。不純だっつうの。それにさ、日記もヒドいよ。「猫を愛する横浜在住 孤独な独身社長の独り言」って、仲本工事さんそっくりのお母さんがいながら、独身はないでしょう。それにカトチャン・ペに似ている私という娘もいるのに(ウチら家族はドリフターズか?)。猫なんてのもいない。飼っているのは豚さん。アンタは社長は社長だけど、養豚場の経営者でしょうが。養豚という仕事に誇りがないのか?

 まあ、お父さんの気持ちも分からないではないよ。現実から逃れたいんでしょうよ。ド田舎で糞尿にまみれ、汗だらけで毎日が豚の世話。口うるさいお母さんにヤイのヤイの言われての生活、大変だと思う。

 それに比べ、30代のころは横浜に本社がある企業で、スーツをビシっと決めてビジネスマンやってたんだもんね。小洒落たお店で食事やお酒も楽しんでた。昔はとても美人だったお母さんと一緒にね。だけどお爺ちゃんが病気で倒れて我が一家はド田舎にユーターン。長男であるお父さんが養豚場を継ぐことになった。来る日も来る日も食卓には豚。細身だった我が家族三人はあっという間に激太り。昔の面影無しに。

 この10年ばかり、ほとんど旅行らしい旅行なんてしてないもんね、お父さんとお母さん。ド田舎で同じ人たちと同じ会話をし、毎日豚の世話。若い女性と話す機会なんてのも無理。刺激もないし、若さも失われていくばっかりかも。だから横浜でバリっとしていた頃の気分に戻りたいんだ。都会の生活、とくに横浜はどうなっているのか知りたいんだ。なかでも横浜で働いている若い女性からの返事を希望しているわけね。

 だったら横浜に住み、横浜で働いている実のこの娘に聞きなさいよ。話しなさいよ。「カトチャン似のお前と話しても、面白くも楽しくもないし、嘘ついてる意味ないじゃん」って、そうか、勝手にやってろ。だけどさ、お父さんと同じく、女子大生に変身した男とかオヤジからの書き込みとか返事がきたらどうすんのさ。チョー、ヤバくない?  あたしゃ、しーらない。(2012年2月5日)

親父 53歳・自営業
娘 27歳・外資系損保


  俺たち流の支援活動を見守ってくれ


 親父さん、我が家や親戚の古着ありがとう。ダンボール5箱にジャケット、ズボン、ワイシャツ、セーター、それに新品の下着類までぎっしり。A君とても喜んでくれました。

 アフリカから留学してきたA君は俺と寮が同室。しかも同い年で同じ陸上部に所属。片言の日本語で必死になって勉強し、日本人と仲良くなろうとする姿勢に、誰もが好感を持ち、俺ともすっかり仲良しになった。

 A君の故郷は貧しい農村で、今もなお衣食住にあえいでいる人々が多い。国際的な援助も彼の村までは届かないでいる。勉強とスポーツに秀でた彼は、親戚と村の期待を背負って日本に留学、古い言葉だけど「立身出世」を叶えようと必死だ。そんな彼を俺と仲間たちは尊敬し、様々なことを学び、何かしたくなった。それで自主的な援助を考え、先ずは衣類を送ることを決めたんだ。
 
 俺たちの考えに共鳴してくれる連中も増えた。そしてあっという間にダンボール20個分の衣類が届き、それを村に送った。A君の村の村長はじめ、子供たちからも感謝の手紙と写真が届き、俺たちも感動した。
  
 だけど、A君にも困ったところがある。食べ物を始めとして事あるごとに「ドーシテ捨てるの」「ドーシテ残すの」「モッタイナイ」の口癖だ。テレビの番組、なかでも食べ物をあまりにも粗末に扱ったり、料理の下手さを競う番組、それに人気のメニューを当てるまで食べ続ける番組に至っては「ゾクアクじゃない、これはハンザイ」って怒り狂ったこともある。日本人ならほとんどが気にもしないだろうし、俺も笑って見ていた番組だけど、笑って見ている瞬間にも飢えて死んでいく人々が確実にいる現実を忘れていた。いつの間にか鈍感になっていた俺や仲間たち。

 俺はますますA君が気に入った。だって、親父さんと同じマインドだぜ。「物はむやみに捨てるな」「出された食べ物は残さず食え」「多少古くても使えるものは使え」。子供の頃はなんて貧乏ったらしくてウザイんだと思った。大学生活でそうした教えもすっかり忘れてしまったけど、A君の登場で俺はまともに戻れた。

 衣類を送る活動は続行するつもりだ。そして俺と仲間たちは次の目標を決めた。それはA君の村に小さな図書館を作る計画だ。いつになるか分からないけど、A君の村を訪れ、頭脳と肉体を駆使して手作りの図書館を建てたい。「お前たちってナニを考えてんの」とか冷笑する奴らもいるけど、俺らは気にはしない。この計画が俺たちの生きがいだから。

 親父さんと我が家族、そして仏様に改めて感謝。口うるさい教えが骨と肉になり、今ある俺を形作ってくればかりか、アフリカの素晴らしい友人にも巡り合わせてくれた。合掌。(2012年2月12日)

親父 52歳・住職
息子 21歳・大学3年




  ママの負担を減らして、我が家は円満


 パパ、朝食をいつも作ってくれてサンキュー。メニューはいつも同じで、トーストとハムエッグ、それに野菜サラダとインスタントスープ。だけどおいしいよ。腕も上がったんじゃないのかな。ママもうれしそうな顔して食べてるしね。安心したよ。

 一ヶ月ほど前まで、私たち家族は崩壊寸前だった。パパの急な転勤が原因。私は猛反対した。だって住み慣れた横浜から東北の田舎町に転勤だもん。「パパ一人だけ行けば」って言ったら、ママが「パパ一人で生活できるわけないでしょう」って。そりゃそうだ、料理はおろか、掃除とか洗濯なんてやったことないもんね、パパは。仕事しか頭にないもん。それに最近は凶悪犯罪が増えてるから、女二人だけ残すのは心配だって。泣く泣く引越しだよ。

 コンビニはあるけど、ファミレスは一軒もなし。お気に入りの洋服とかは、通販、もしくは電車で1時間以上もかけて市内のデパートで買うしかない。転校先の高校だって古臭い建物だし、先生も生徒もナンか時代遅れっていうのかズレてるっていうのか、合わない。そんなこんなで登校拒否気味になった。

 ママも同じ。こんな田舎町だもん。趣味とか話が合う友だちなんて見つかりっこないよ。周りはほとんど農家の主婦ばっかりだもん。それにアポなしで突然訪問して何時間も居座るし。ほんと、田舎の人間ってイヤ。だからますますストレスが溜まり、ママはついにダウン。病院で過労と軽いうつ病が原因って診断された。

 だから言ったじゃん。田舎の生活なんて無理だって。パパの責任だよ。パパが単身赴任すればよかったんだよ。私とママはパパの犠牲だよ。

 だけど、冷静になって考えたらママのストレスは私にも原因がある。登校拒否、パパへの反抗、ママにもイライラをぶつけちゃってたし。いろんな事がママを病気にさせちゃったんだよね。反省してまーす。

 できるだけママの家事仕事を減らし、リラックスできる環境を作ること。これが病院の先生からのアドバイス。だから朝食は朝が早いパパの担当。私は帰宅してから掃除、洗濯、夕食のお手伝い担当。高校へも行き始めた。そしたら、先生や友だちが心配してくれていたことが分かった。それにご近所のオバさんたちも「大丈夫かね」って、毎日のように取れたての野菜とか、果物を持ってきてくれて。田舎も悪くないね。ようやくママにも笑顔が戻り、一安心だよ。

 これまでは、なんでもママにオンブに抱っこの生活だったけど、もう卒業だよ。家事でもなんでも自分でできることはする。パパも簡単な料理とか掃除、洗濯もできるようになったもんね。もうママに心配かけるようなことは厳禁。約束だよ。(2012年2月19日)

親父 48歳・精密機器メーカー
娘 17歳・高校2年




  オヤジ、ラーメン道は厳しく辛いけど、負けないぞ!


  オヤジ、元気で頑張ってるか? 兄貴やオフクロとケンカしながら、うだるような厨房でいつもの美味いラーメン作ってるんだろうな。俺も毎日、厳しい師匠や先輩にシゴかれ、励まされ、日本一のラーメン職人目指して頑張ってるぞ。

 オヤジは俺にとって尊敬する父親であると同時に師匠でもある。今の俺と同じ年で屋台のラーメン屋から出発。その味が評判となって「行列のできるラーメン屋台」に。やがて店を構えるまでなり、俺たち兄弟を大学まで行かせてくれた。そんなオヤジの背中を見て、そして美味いラーメンを食って育った俺たち兄弟は、オヤジの跡を継ぐべくラーメン屋を志したのだが、オヤジは猛反対。

 「ラーメン屋にしたくて大学に行かせたんじゃねぇ。会社員とか公務員とか、安定した仕事に就いてもらいてぇんだ。それでもラーメン屋になりたいっていうなら、10年はヨソで修行しろ。そして俺の味とはまったく違うラーメンで俺と勝負だ」。


 オイオイ、テレビ番組の「ラーメン巌流島」じゃないっつうの。なんで親子、兄弟でラーメン対決しなきゃなんないのよ。これじゃあ「ラーメン戦国時代・下克上」じゃねぇか。だけど、「オヤジのラーメンもいつか飽きられるときが来るかもな。それじゃあ俺たちも共倒れだ。オヤジの味をベースに、オヤジとは違う俺たちだけのラーメンを作るのが親孝行ってもんかもよ」と兄貴。この日から俺たち親子、兄弟はライバルに。

 オヤジのラーメン作りは、子供の頃から見て知っていたから、その通りにすればヨソでも通用すると思っていた。だけど、まったく通用せず。新しい師匠とか先輩もすっげえプライド高くて、自分の作り方にバリバリの自信を持っている。「ウチじゃあこんな風に作っていたんですけど」なんて言おうもんなら、ビンタとか鍋とかが飛んでくるもんな。

 だけど、仕事を離れると師匠や先輩は優しい。そして自分の夢とかを熱く語ってくれる。ラーメン作りも大切だけど、なんでこの仕事を選んだのか、そしてラーメンにどんな想いを込めたいのか、さらにはどんな人生を送りたいのか、そのあたりを師匠や先輩はしっかり考えている。

 オヤジのラーメンの味をそのまま受け継げは、俺も人気ラーメン職人としてテレビとか雑誌で話題になり、収入もそこそこ入ってくるだろうと考えていたけど、バカだねえ。そんな考えじゃあ長続きしっこねぇよ。

 ラーメンは人間と時代を見抜く力がなければ、経営者感覚がなければ、人気なんてもんは維持できない。つくづく思い知らされた。修行も3年目に突入。オヤジの味を越えるその日がくるまで、俺は決して負けない。(2012年2月26日)

親父 55歳・ラーメン店経営
息子 25歳・ラーメン店勤務