お父さんとの食卓、今はとても安らぐよ


 お父さんと二人だけのお鍋なんて、3年ぶりだね。以前と同じように、二人とも黙ったままの夕食。テレビのお笑い番組に、ときたま笑うだけ。ああ、元の生活に戻っちゃった。

 お母さんが病気で亡くなって20年目。早いもんだね。桜が咲き乱れる中での高校の入学式。その当日、あっけなく天国へ行っちゃった。もう1日、待って欲しかったな。そうしたら入学記念の写真、一緒に撮れたのにさ。お母さんと一緒に撮影している友だちが羨ましかった。

 お父さんの無口は、お母さんが亡くなっても変わらなかった。むしろ前よりも無口になったね。必要なこと以外はだんまり。お母さん、よく我慢してたなって感心したよ。話しかけても「ああ」「おお」「そうだな」って言葉しか返ってこないもん。こんな味気ない生活が嫌で嫌で、早く結婚して出て行きたかった。だけどなかなか相手に恵まれなかった。

 33歳にして、ようやく納得できる相手に出会えた。そして結婚。お父さんを一人にするのは心配だったけど「息子ができてうれしいよ。早く孫の顔見せてくれよな」って。このひと言で安心して嫁ぐことができた。離れて親孝行すると誓った。

 だけど結婚は見事に失敗。アツアツの時期は半年ともたなかった。元夫の穏やかさと優しさ、心配りは演技。家では無愛想そのもの。下手に口ごたえしたり、意見をしようものなら物や手が飛んできた。1年もすると浮気だもん。それでも耐えた。子供ができたら元夫も父親としての自覚が生まれるだろう、優しくなってくれるだろうと。だけど無駄だった。子供なんかいらないってさ。

 離婚を決意したときは身も心もズタズタ。死んでしまいたかった。元夫を殺してやりたかった。でも何もできやしない。泣いてすべてを諦めて、実家に転がり込むしかなかった。悲しそうな、寂しそうな顔をして迎えてくれたね、お父さん。

 静かすぎる食卓は以前のまま。でもね、なんだかホっとする。安心もしてるんだ。余計な事を聞かないし、言わないし。すごく救われる。お父さんの寡黙さって、優しくて温かいんだって、ようやく気づいた。

 私、自分の性格を変えるつもり。これまでの私ってさ、性格も表情も暗かったんだもん。それを元夫からも指摘されてた。それが元夫を浮気に走らせたり、イライラさせた原因だっかのかも知れない。明るく前向きに変われば、もしかしたら本当に良い相手に巡り会えるかもね。

 親孝行、まだ諦めてないよ。お父さんとも上手くやっていける息子を探し、できれば孫を抱っこさせてあげたいしさ。親子4人でワイワイお鍋を囲んでいる光景、そんなことを夢見つつ、元気に生きていくよ。(2012年4月1日)

親父 65歳・工員
娘 36歳・パート




 タクシードライバーって、俺の天職かも


 親父、先日は上客を紹介してくれてありがとうな。終電に乗り遅れたというあのお客さん、東京駅から熱海まで運んだよ。助かった。売り上げが伸びないで悩んでいたからな。一発逆転のホームランってとこだ。

 タクシードライバーになって3年目。ようやく首都圏の道路事情にも慣れた。カーナビに頼らなくても、どんな場所にでも送迎可能だ。なんといっても、ベテランの先輩である親父がいるし、仲間たちも心強い。困ったり悩んでいると、無線や携帯でアドバイスしてくれるし、売り上げにも協力してくれる。この世界に入ってよかったと、つくづく実感。

 二流大学を卒業して、運良く一流といわれる大企業に就職。だけど、無能で無責任極まりない上司の下で、会社生活は真っ暗。再三にわたって尻拭いをさせられ、同僚たちからも足を引っ張られた。「クソったれが、こんな会社辞めてやらあ」とタンカをきって退職したものの、その後はもぬけの殻状態の日々を送り、燃え尽き症候群ともいえる有様だった。

 そんなある日、「どうだ、タクシーの運ちゃんでもやってみないか」と親父が声をかけてくれた。冗談だろう、なんで俺がタクシーの運ちゃんなんかやらなきゃなんないのよ。ムカっとしたけど、まあ、ダラダラしているよりはマシかと、親父の紹介で会社にバイトで入った。

 世の中には様々な人間がいた。そして同じくらい様々な世界がありドラマがあった。俺ってつくづく狭い世界に生きていたんだな。ハンドルを握りながら、お客さんと話しながら、そう感じたよ。そりゃあ、当初は戸惑いと辛さの連続だった。給料はバカ安。感謝される一方で、馬鹿にされ、悪態をつかれ、ときには暴力さえも振るわれたけど、それでもタクシーを降りようとは思わなかった。この仕事と会社が好きだから。

 親父の偉さも再発見。同僚たちからなぜ「仏の○○さん」と呼ばれているか分かった。お客さんのなかに、元気がない人、悩んでいる人がいれば、とことん話を聞き、相談に乗り、一銭にもならないのにその人のために奔走してたんだってな。感謝の電話、手紙が、今も寄せられているって。そして、そんな親父を慕って、このタクシー会社に就職してきた人も何人かいるっていうのには驚いた。

 なるほどな、この会社、他の会社と違って、どことなくアットホームというか、気持ちいいなと感じたけど、親父の影響が大きいんだ。

 「俺たちの仕事は安全確実にお客さんを目的地に届けること。そして、できればお客さんに一瞬でも安らぎ、幸せを感じてもらえりゃあ、言うこと無し」。この仕事と会社、そして仲間たちを俺は誇りに思うよ。(2012年4月8日)

親父 56歳・タクシー運転手
息子 33歳・同




  故郷で穏やかに暮らせる幸せ、最高だね


 お祖母ちゃんの笑顔を見たのは久しぶりだね。春の柔らかな日差しを浴びて気持ちよさそう。お父さんも芝生の上に座り、コーヒーをおいしそうに飲んでいる。こんな幸福感を味わったのは何年ぶりだろう。

 お母さんがガンで亡くなり、そのショックも冷めやらぬうちに、お父さんの会社が倒産。知り合いのツテでようやく警備員の仕事に就けた。だけど、問題は認知症のお祖母ちゃんの世話。これまではお母さんが介護していたけど、今度はお父さんが面倒を見ることになってしまった。

 日中は親戚やら施設に預けて面倒を見てもらえるけど、夜はどうしても家に帰りたいと、泣いて訴えるお祖母ちゃん。疲れて帰宅して、それからお祖母ちゃんの世話をするのは、並大抵のことじゃないよ。心配していたとおり、お父さんも過労で倒れちゃった。帰郷する決意をした私。

 もう少し東京で働いていたかったな。仕事も楽しかったし、お給料もいいし、会社の仲間もいい人ばかり。だけどさ、「帰ってきなさいよ」っていう神様、仏様、ご先祖様、そしてお母さんのお導きなんだよ。だから未練は断ち切った。心配しないで。

 就職先も不思議にスンナリと決まった。総合病院の事務。医療事務の資格が利いたんだね。しかもその病院の隣が老人施設。ラッキーじゃん。お祖母ちゃんがどうしているか、様子を見ることもできるもんね。勤務が終わってお祖母ちゃんを迎えに行くと、喜びまくり。可愛いよね。こんな私でも頼りにしてんだもん。

 帰宅してからのお祖母ちゃん、大人しいもんよ。私が料理しているところ、静かに眺めているし、排泄、入浴なんかも嫌がらないよ。やはり女性同士のほうが安心なんだね。お父さんにも元気が戻ってきた。

 「面倒かけて悪いな」。そんなの言っこなし。お父さんのおかげで大学も出してもらったし、海外旅行にも行かせてもらった。憧れの都会でOL生活もできたんだよ。私こそこれまでなにかと面倒かけちゃって。

 東北の田舎町で生まれ育ち、高校を卒業してすぐに地元の企業に就職。出張で何度か都会に出た程度で、ほとんど田舎暮らしのお父さん。お母さんと一緒の海外旅行をプレゼントしようと思ったけど、都会で生活すると貯金なんて無理。お母さんも天国へ旅立っちゃっしたね。

 「海外旅行なんて行きたくもないよ。こうしてノンビリ、平穏無事に過ごせるだけで幸せだ。俺にとっては近所の公園でもリゾート」。気を使っちゃって。だけどありがとうね。そのうち貯金ができたら、近場の温泉旅館に出かけようよ。たまには美味しいもの食べよう。ささやかな贅沢したってバチは当たらないよ。(2012年4月15日)

親父 58歳・警備員
娘 30歳・医療事務




  やっぱ、野球はサイコーです


 試合は9回の裏。ボクたちのチームの攻撃。だけど負けは決定的だった。7対2だもん。5点差をひっくり返すなんてできっこないよ。ボクらのチョー弱小チームじゃ。早く帰ってゲームでもしてたほうがいいや。

 と思っていたら、監督がボクを代打に指名。ウソだろう。打てっこないって。赤っ恥かかせんなよ。シブシブ打席に入ったら、「一発、ブシカマシたれ!」ってデカい声。どこのオヤジかと見たら、ゲッ、父さん。仕事のはずじゃん。作業服を着てるってことは、仕事を抜け出してきたのか? 昨日はケンカしたのに。

  「お前は何事も中途ハンパなんだよ」。かもね。ボクって成績も、野球も中途ハンパ。それに比べて弟は成績優秀で野球も上手。これまでずっと付きっきりで野球を教えてくれてたのに、「お前、才能ない」って、弟ばっかりに野球を教えるようになった。ヘコみますよ。傷つきますよ。

 それに高校進学のことでは、ボクが行きたい高校に反対。知り合いの野球部監督がいる高校へ行けって。横暴つっうもんだよ。野球が下手だって言ったのは誰だよ。下手なボクがまた野球やってどうすんの? それが原因で大ケンカ。もう、父さんなんて大バカヤローだ。嫌いだ。

 相手が投げたホールが父さんの顔に見えた。「バカヤロー」って思いっきり振ったら、ありゃりゃ、二塁打だよ。笑っちゃうよな。こんなのアリですかね。まあ、いいか。
 「野球が楽しいのは、チームメートと悲しさも厳しさも、そしてうれしさも分かち合えるからなんだ。それが分かってないからバカなんだ」。

 ああ、また説教だよ。ムカつく。余計なお世話。ボクはボクなりに頑張っているんだ。なのに監督も仲間もボクを認めてくれない。こんなクソチームなんかどうでもいいや。

 ああ、もう2アウトだよ。今回もボロ負けか。弱いよな、ウチのチームは。ゲームセットか。ん? デカいぞ。大きい。ホームランか。ボクは必死に走った、走った。せめて1点でも欲しい。チームのために。エッ! 何考えてんだボクは。イチかバチかヘッドスライディング! 相手のキャッチャーミットが顔面に食い込んだ。痛え!。「アウト!」。そんなあ。鼻血がポタポタ落ちてる。もう、カッコわるー。泣きてぇ。

 チームメートが全員駆け寄ってきた。みんなごめんな、アウトで。「よく走った」「すげえ、お前の根性見せてもらった」「カンドーさせてくれたちゃって」「グッジョブ!」。

 ありがとう、みんな。やっぱ、ボクは野球が、このチームが好きなんだ。このチームで野球やっててよかったかも。父さんが薦める高校、そこへ進学するのもいいかもね。(2012年4月22日)

父 45歳 工員
息子 14歳 中学3年



 私が会社を継ぐから、よろしくね


 お酒臭いなあ。昨夜も飲み会? いい加減にしなよ。そのうち体を壊すよ。ほとんど毎日飲んでるよね。

 お父さんばかりじゃないよ。社員もバイトさんも、みんなお酒臭い。それでよく仕事できるよね。つうか、よく仕事が回ってくるよ。普通だったら、ヤバくて仕事なんか回さないんじゃない。酒飲みばかりの会社に。まあ、お酒が原因で失敗した、トラブル起こした、なんてことはこれまで一度もないのには感心するけどさ。

 社員8人。バイト5人の小さな会社。お父さんは社長なのに、誰も社長とは呼ばない。社員も取引先もみんなして「大将」って呼んでる。それが気に入ってる。「社長より大将のほうが位は上だ」って、なにノンキなこと言ってんだろうね。

 「大将ってのは細かいことには手を出さない。キッチリと仕事をやり遂げればいいの」。そうかね。社長というか経営者ってさ、仕事を見つけてくる、その仕事をやり遂げる。これって最低条件じゃん。そのうえで長期の計画を立てるとか、将来の夢とかを社員や家族に語るもんじゃないの。営業とか経理とかはお母さんと姉貴に任せっぱなし。銀行からお金借りるとき、お母さんどれだけ苦労しているのか知ってる? なのに社員やバイトさんとの会話は、お酒かキャバクラとかばっかだもんね。

 大将が大将だから、社員も覇気がないというか、ボーっとしている。  
「家族を養える程度の給料があればいいの。会社が大きくなったら忙しくなっちゃうじゃん。優秀な人間も入ってくるじゃん。そうなれば俺たちヤバいよ。クビになっちゃうよ」。

 こんなレベルの人たちの集まりだもんな。目標やら理想やら夢を語れっていうのは無理な注文か。世間では負け組みにならないよう、必死で頑張るのが当たり前なんだけどさ。

 お父さん、自分自身に対してもそうだけど、社員に対しても甘すぎなんだよ。居心地がいいからハングリー精神も生まれない。もうちょっとビシっと厳しくできないのかな。バイトしかしてない私が言うのもなんだけど、社長ってどこも大変だよ。映画「男はつらいよ」のタコ社長だらけだよ、どこ見ても。

 私、専門学校やめて大学に進学するわ。経営学部を目指す。卒業したら数年間はどっかの会社でお世話になり、その後、ウチの会社で仕事する。このままじゃウチの会社、そのうち倒産すんの目に見えてるもん。社長やれそうな社員もいないしさ。私がなんとか立て直さないと。

 大学の入学金だけ面倒見てよね。授業料はウチの会社でバイトして払うからさ。そのほうが仕事も早く覚えられるしね。息子になったつもりで頑張るから、ヨロシク!(2012年4月29日)

父 58歳・金属加工業
娘 18歳・高校3年