蛙の子は蛙だね、お父さんの弟子に恋しちゃった


 先日、仕事が早く終わったから、久しぶりに寄席を覗いてみたんだ。 もしかしたらお父さん、出てるんじゃないかなって。案の定、予感的中。

 いつも泣かせるね、お父さんの噺は。隣に座っていたお客さん、ハンカチで目頭を押さえていたよ。人情噺でお父さんに敵う噺家さんって、そうはいないだろうな。ちょっと身びいきが過ぎるかしら。

 真打に昇進してから20年以上経つね。人気者、名人とは言えないけど、上手として定評はあるんだよね。だけど、顔と名前がイマイチ売れない。テレビやラジオにもほとんど出たことない。仕事はもっぱら寄席が中心。今もって居酒屋を切り盛りするお母さんの収入が頼りだもんね。

 6畳と3畳二間のアパートは、トイレが共同で風呂なし。そこで私たち家族は20年近くを過ごした。前座、二つ目のときは極貧生活だったね。お父さんの収入なんてほとんどなし。師匠に泣きついては借金し、様々なアルバイトでどうにかこうにか生きていくのがやっと。お母さんもどんだけ苦労したことか。借金が原因でお父さん、お母さん、いずれの実家とも疎遠になったしね。

 それほどの貧乏生活なのに、お父さんは落語を捨てようとはしなかった。暇な時間があればとにかく噺の稽古。幼い私をオンブしながらも、寝かせつけるさいにも落語。おかげさまで落語のネタを何本も覚えてしまった。落語通の小学生なんて、今でもそうザラにはいないと思う。

 アパートの人たちにはとてもお世話になったよね。醤油、味噌、お米なんかを借りたり、貸したり。まるで人情長屋。お父さんが人情噺にこだわるのも分かる気がする。しょっちゅう住人を集めては噺を聞かせ、反応を見てたもんね。あの人たちにウケないものは、寄席でもウケないって。その蓄積が今ではお父さんの財産になっているんだよね。

 大学に入学した私は、貧乏な生活から脱出したいがために、とにかく勉強した。その甲斐あって卒業して外資系の企業に潜り込めた。そしてさらに激烈な競争に勝ち抜き、今の地位と収入を得ることができた。お父さんの年収の10倍はあるもん。

 私に相応しい男を探すためにお見合いも数々した。弁護士、官僚、医者、パイロット、若手実業家などなど。だけど、いまいちピンとこない。そう、粋じゃないのよ、どいつもこいつも。

 ようやく「こいつかな」と思う相手が現れた。真面目で仕事熱心。ギャンブルなんて無縁。お酒を少々たしなむ程度で、涙もろくてお人好し。だけどそいつはチョー貧乏。誰かって? お父さんの孫弟子のAだよ。お腹抱えて笑うことないじゃん。どうすべきか、深刻に悩んでるのにさ。師匠として、父親として、娘の恋に適切なアドバイスをしてよね。(2012年6月3日)

父 68歳・落語家
娘 34歳・外資系




 逆境なんかにめげない、私には会津武士の血が流れているから


 お元気ですか、お父さん。

 我が故郷の北海道はまだ真冬でしょうね。白い息を吐きながら、牛や馬の世話に明け暮れている家族たちの姿が目に浮かんできます。

 私のほうも似たり寄ったり。アメリカの片田舎の農場で、朝から晩まで働き通しの日々。広大な農場で牛や馬の世話に始まり、陽が落ちるまで畑での仕事と、汗と埃にまみれっ放し。仕事のほとんどが機械化されているとはいえ、やはり大変です。

 だけど辛くはありません。悲しいと思ったことも、寂しいと思ったこともなしです。彼と家族がなにかとサポートしてくれるから。彼と結婚して本当によかったと思ってます。

 アメリカの大学に留学し、サークルで知り合った彼は、アメリカ人にしては珍しいほど控えめな性格。それに誰に対しても紳士的で優しかったから、好意を持ったのは当然。大学を卒業する頃にはお互いに結婚を意識するまでになっていました。

 彼の実家に行って両親にご挨拶。ところが両親は驚くと共に困惑した様子。というのも、彼の農場は多額の負債を抱え、再建に追われていたから。後継者である彼の肩には再建という大きな荷物が背負わされていたのです。そんな彼と一緒になってもいいのか、もしかしたら後悔するぞと両親。彼らの心遣いが嬉しかった私は、彼との結婚を決意した。

 帰国して今度は彼と私の実家に。結婚してアメリカで生活すると宣言したら、お父さんもお母さんも困った顔したけど「ああそうか。それならば頑張れよ」と、拍子抜けするような態度。はなむけの言葉が「お前にはご先祖様の血が流れてる。それを誇りに思うと共に忘れるな」。

 先祖代々、会津の武士。戊辰戦争に敗れた後、本州の果て青森の斗南に移住したものの、生活は困窮の極み。地元の人々から木の芽、草の芽も食べつくす「毛虫侍」とか、豆ばかりあさって食べる「鳩侍」などと嘲られながらも、必死になって土地に根をおろそうとした。貧困のため病気になっても医者に診てもらえず、そして栄養失調で何人ものご先祖様が死んでいった。だけどそれでもご先祖様たちは生活苦と果敢に戦い、ようやく祖父の代で農場を軌道に乗せることができた。その誇るべきご先祖様の血は私にも脈々と流れてる。

 だから多少の苦労や悲しみなんて平気です。彼の家系だって、イギリスから渡ってきて、何世代にもわたってこの地に根を張ったんですから。「私たちの目の前には借金という山が立ちはだかっているが、その山を登りきれば新天地が待っている。家族で団結して困難に立ち向かおう」。

 義父のこの言葉を胸に刻みつつ、会津魂でこの難局を乗り切ります。(2012年6月10日)

父 60歳・農場経営
娘 27歳・主婦




  赤の他人になったけど、オヤジ、外国で幸せな人生を送ってくれ


 15年振りの再会に、懐かしいというよりは、「今さらなんの用なんだ」と、不審を抱いた俺だった。

 親父がお袋と離婚して俺たち家族の前から姿を消したのは、俺が中学3年生のときだ。大黒柱が居なくなった俺たち家族は、それこそ皆が必死になって働き、協力し、助け合って生き、今では兄弟3人、それぞれが家族を持つまでになった。

 酒やギャンブル、女におぼれるわけでもなく、ただひたすら仕事を愛し、家族は二の次。父親不在の家庭だった。それでもお袋や俺たち子供たちは親父がいることに満足していた。しかし、「お前らはどいつもこいつも頭が悪いな。母親の家系の血が濃いんだ。将来は暗いな」。

 一流の国立大学を卒業し、一流の企業に就職し、出世まっしぐらの親父。それに比べ、高校しか出てないお袋。確かにドン臭くて知識も教養もない。だけど俺たち家族だけでなく、誰に対しても愛情を持って接するお袋は俺たち兄弟の誇りだ。その誇りに唾を吐いたんだよ、親父は。
  
 「お袋は家政婦じゃない。俺たち子供たちだって召使じゃない。こんな父親と暮らすのはもう嫌だ」。兄貴が口火を切り、俺、妹もお袋に離婚を勧めた。「お前らみたいな落ちこぼれがどうやって生きていけるんだ」。せせら笑いながら離婚届に印鑑を押したよな、親父。慰謝料も生活費も俺たちは求めなかった。まともに生活し、暖かい家庭を築くことが俺たちの親父に対する復讐だった。そして俺たちは復習を果たした。

 驚くほど老けたな。昔の不遜な態度、表情はすっかり消えていた。みすぼらしさが痛々しかった。取締役一歩手前でリストラに会い、それからは様々な仕事をするものの、どれも長続きしなかったという。自業自得だと心の中でつぶやいたよ。

 今になって気がついたんだな。家族の大切さを。遅いよ、と言いたいが、まだ遅くはないよ。血は繋がっていなくても、作ろうと思えば家族は作れる。俺たち兄弟だって、見知らぬ他人と出会い、愛し合い、家族を作ったんだから。親父だってその気になれば、家族は作れるはずだ。

 約束の写真、渡したよ。俺たち兄弟家族とお袋が一緒に収まった記念写真。この写真が親父にとってどんな意味を持つのか、なんて詮索するつもりもない。「家族だった家族」が、日本でまともに生活していることを思い出してもらえたら幸せだ。

 友人の紹介で外国で仕事をするらしいけど、体に気をつけてな。できれば親父も外国で愛する人に出会い、家族を持ち、家庭を築いてほしい。どんなに貧しくても、それが一番豊かな人間であり、暮らしだと思う。これが俺たちの親父への餞の言葉だ。(2012年6月17日)

父 62歳・ホテル支配人
息子 30歳・家電量販店


  イジメには、毅然として立ち向かわなきゃダメだよ、パパ


 パパ、相変わらずだね。朝起きたときから夜寝るときまで、ああだこうだと口うるさいったらありゃしない。ほんと、ウザいんだよなあ。

 私が余計なことをしたから? パパの男としてのメンツ潰しちゃった? だとしたらゴメン。だけど、あのままだったらパパ、いつかノイローゼになってどうなってたか分かんないよ。ちょっとは感謝してもらってもいいような気がするけどね。

 パパが無口になり、怒りっぽくなったのは半年前から。夜中に何度も起きてはボーっとしてるし、病気でもないのに会社を休むようになった。そして頭は円形脱毛症。ママが問い詰めてようやく理由が分かった。会社でイジメにあってたんだ。異動先の子会社で上司と部下がなにかにつけては文句をいい、ケチをつけてケンカを売ってくる。「会社からとっとと出ていけ」ってことだよね。

 パパ、何も悪いことしてないし、ヘマもしてないじゃん。そいつらにガツンと言い返せばいいのに。あるいは会社のお偉いさんに直訴すればいいのにさ。それができないんだよねパパは。外の人間には優しい、大人しいからね。しかしこのまんまじゃ、パパだけでなく私たち家族だって困っちゃうよ。失業でもされたら。

 パパの代わりに私が会社に乗り込んだ。受付で「父がイジメにあって困ってるから、責任者にあわせてください」。受付のお姉さん、目が点になってたよ。それから総務部長とか、専務とかいう人たちが入れ替わり立ち代り私の話を聞いてくれた。最後に社長さんが出てきて「よく相談してくれたね。ちゃんと解決しますから安心してください」。

 社長さん、全社員にメールを出してくれたんだね。「わが社でイジメは許さない。黙認も許さない。心当たりのある社員には猛省を促し、反省がない場合は厳罰に処す」って。

 パパ、帰宅するなり、「お前って奴はなんてことしてくれたんだ」と、鬼のような形相。ヤベえ、殴られるのかと思ったけど、「一件落着したよ」と、以前のような優しいパパの表情に戻った。よかったじゃん。パパの会社の社長さんってヤルじゃん。

 中学から暴走族に入って暴れまくり、高校ではイジメグループと対決してきた私には、こんな問題、どうってことないよ。大人しく、黙っていたらヤラれるだけ。ヤラれたらやり返すんだよ。イジメる奴らは反撃してこないとナメてるからね。こっちもやり返して恐怖心を与えてやんないとさ。割が合わないじゃん。

 パパの問題は解決した。今度は私。大学目指して猛勉強することを決めた。法学部に入って弁護士になるのが目標。これまでの親不幸を詫びる気持ちもあるよ。そのためにもパパ、しっかり働いて大学の入学金やらお願いね。お互いにガンバローぜい。(2012年6月24日)

父 45歳 総合商社
娘 17歳 高校2年