八戸自由大学特別課外授業  是川縄文館めぐり~その3~

「縄文のストーンサークルと是川中居遺跡の漆工芸」

場所・是川縄文館にて(10月19日)

講師・小林和彦氏(八戸市埋蔵文化財センター是川縄文館館長)


講座より抜粋

〇ストーンサークル(環状列石)とは

  
縄文時代後期(約4000年前)に石で作られた記念物であり、北海道・北東北にかけて多く発見される。直径は最大で30~50メートルにもなる。石の下部には墓が造られている場合あるほか、周囲には住居跡が見つからない場合が多く、特別な場所として使われていたと考えられる。周囲からは土偶や土製品、石製品など生業に使われない不思議な道具が多く見つかる。重たい石を規則的に並べるためには、たくさんの人の力や長い時間、あるいはその両方が必要であることから、協同作業により造られたと考えられる。

〇ストーンサークルと組石

  ストーンサークルを平面図でみると、全体としては円に見えるが、石の並びが途切れている。途切れている石の並びは、よく見るとそれぞれが違う形に造られた「組石」であり、環状に並べられた石が外されたのではないことが分かる。組石には列状のものや円形に石を集めたものなどがあり、なかには日時計と呼ばれる組石もある。実は、ストーンサークルはこうした様々な組石が集まったものであることが分かる。

〇ストーンサークルの広がり

  ストーンサークルは北東北を中心に北海道からも発見されている。両地域とも縄文時代後期のものが多い。小牧野遺跡のストーンサークルに見られる梯子状の石組みは、周辺の太師森遺跡や伊勢堂岱遺跡にも見られるなど、石組みについての情報は共有されながら、集落から集落へと広がっていったと考えられる。

〇ストーンサークル誕生前夜

  ストーンサークルが造られはじめる直前の、縄文時代中期後半ごろ、日時計のような組石ばかりが造られた樺山遺跡や、直線的な組石だけが造られた門前貝塚などが岩手県の各地に登場する。また、各地で小規模な環状の配石が造られはじめる。ストーンサークルはこれらが組み合わされて誕生したものと考えられる。

〇英国のストーンサークル

  英国周辺からは数多くのストーンサークルなどの記念物が発見されている。世界で最も有名なストーンサーンルであるストーンヘンジ(円形の土手と堀)は、約5000年前から約3500年前まで、3時期の変遷を経ながら継続して造られた記念物である。さらにストーンヘンジは中央のサークルからある場所を望むと夏至の日の出の方位を指すよう綿密に造られている。最大のストーンヘンジは、エイブベリーである。直径は300メートル以上もあり、ヘンジの中に村が所在している。

〇ストーンサークルと景観

 秋田県の大湯環状列石には万座と野中堂という二つの環状列石があり、それぞれの日時計状組石を結ぶ軸は、夏至の日没方向であることが確認されている。縄文人は狩猟・漁労・採取を生業の柱としていたため、四季の変化に同調した年間スケジュール(縄文カレンダー)にもとづいて暮らしていた。このスケジュールには夏至・秋分・冬至・春分といった二至二分が組み込まれており、ストーンサークルなどの記念物は、それらが見られる土地、特に山や谷間が望める場所を選んで造られた。こうした記念物により、縄文人の人工的な空間(縄文ランドスケーブ)が作られていった。

是川中居遺跡の漆工芸

 是川中居遺跡は植物質製品はもとより、漆工品についてもわが国で初めてまとまって出土した遺跡である。数多くの製品と製作に関わったと考えられる用具類がある。
 泉山氏のコレクション(是川地域に住み、農業を営んでいた泉山斐次郎が、義兄の泉山岩次郎と協力して1920年代、盛んに発掘をして集めた遺物類)には、漆塗り木製容器、藍胎漆器、彩文のある樹皮製容器、漆塗り弓、飾り太刀、赤色漆塗り腕輪、漆塗りの土器がある。
 植物質製品は縄文晩期前葉のもので、漆塗り土器はその時期を中心に晩期後葉(~大洞A式)のものまで出土している。また、1999年から行われた八戸市教育委員会の発掘調査でも数多くの優れた漆器類と、漆漉しに使われた布が出土した。
 これらの出土品を通して、是川の縄文人が複雑で高度な技術を必要とする漆工の作業を、時間を惜しまずに行っていた様子が明らかになった。採取を生業の基礎とする人々が漆器を作り、使っていたという事実が、縄文文化の性格を考えるうえできわめて重要である。
 漆工芸は現在の日本文化を構成する重要な技術である。食器類や装身具類、家具をはじめ建築などあらゆる分野で漆が用いられてきた。西欧世界にそれが紹介されたとき漆器を「Japan」と呼ばれるようになったことからも、日本を特徴づけるものであった。是川の漆器類はまさにそのルーツと位置づけられるものである。