八戸自由大学第2回講座より抜粋


 第1部・基調講演

演題「九戸左近将監(くのへさこんしょうげん)政(まさ)實(ざね)」~残された資料から九戸政實の人間像に迫る~

講師 永井正義氏(元二戸市立歴史民俗資料館運営委員長)


      
        永井氏略歴
       1928年 二戸市生まれ

       1945年 岩手県立福岡中学校卒業

       1949年 二戸郡爾薩体村役場就職

二戸市教育委員会社会教育課長、二戸市商工観光課長、 

二戸市企 画課長

       1986年 二戸市役所退職  東北ハーネス(株)総務課長として入社

       1996年 総務部長・参与を経て退社

       1988年より二戸市歴史民俗資料館運営委委員

       [主な著書]:「九戸乃乱」「小中学校版・九戸乃乱」


  1.政実の人間像 

   政実の父は、九戸右京信仲、母は八戸南部の老臣八戸但馬の娘であり、その長男とし て天文4年(1535)に九戸長興寺に生まれた。「ひととなり、沈勇にして喜怒色を顔に出さず口数の少ない重剛な性格で、体力には人並優れたたくましさのある容姿の持ち主で人を圧する威力があった」と記載されている。(南部史要)


2.鹿角(かづの)恢復(かいふく)戦争

   永禄11年(1568)南部24代晴政は、鹿角一帯を奪回すべく鹿角地方に進軍した。大将に家老の田子高信(田子から来満峠を経て大湯方面)、もう一方の九戸政実を大将に(岩手郡からの諸将も含めて、七時雨山から三ケ田方面)敵を撃破し鹿角一帯を取戻し占領した。

  ・地固め

  ・政略結婚

  
3.九戸と南部の争いが天下の一大事件に発展

   九戸の乱とは、秀吉の戦いと信直の戦いと2つから成り立っている。

  (1)信直と政実の関係

   信直が南部26代を相続して以来、一族間の融和の確立と派閥の解消の義務があったと思われるが政実との対立関係が続いていた。

  
4.九戸と南部の戦いの始まり

   天正19年(1591)正月17日、信直は長男利直を大将とする1200人の兵を派遣し二手に分けて九戸城を包囲した。(九戸争乱記)

  (1)政実金田一城を攻撃(実質的な九戸の乱の始まり)

  (2)浅水舘の攻撃

   天正19年2月18日に櫛引清長(八戸の櫛引城主)に命じ五戸浅水舘に攻撃、法師岡の戦い

  (3)三城攻撃

   ①五戸又重舘に九戸政実が夜襲

   ②八戸苫米地舘に櫛引清長が夜襲、退却

   ③三本木伝法寺舘に七戸城主七戸家長が夜襲、退却  九戸軍は多くの死者を出す

  (4)一戸城の戦い

   信直は田子→足沢→浄法寺を経て一戸鳥海に出て月舘に陣を張り一戸図書光方を討ち取り一戸城を占領。政実は七戸家国に命じ一戸城攻撃

  
5.一戸城の返り忠

   城内の兵たちは九戸軍を城内に引き入れた為一戸城は無傷で九戸軍の手に落ちた。

  
6.信直広く参軍命令を発す

  
7.信直金田一城へ撤退

   南部の情勢は日に日に厳しくなる

  
8.秀吉への援軍要請

   ・一戸城の戦いにより南部側の形勢が不利との見方が強まる。南部家老北信愛の信直への進言

   ・4月13日、世子利直を使いとして京都に送り、時の関白豊臣秀吉に援軍を依頼

   ・実質的な南部本家と分家の争いが天下の一大事件へと進んで行く。

  


9.秀吉の天下統一の考え方

秀吉が大阪、京都にいる身内に宛てた手紙に「小田原を落とせば関東は平定できるが、東北は日本の三分の一の広さがある。何年懸かろうともこの地を徹底的に平定してから京都に戻る」、また、太閤検地令では「出羽、奥羽の果てまでも残る所なく徹底しなければならない」と言っている。

 
10.九戸の戦いの中から見える政実の人間像

  (1)蒲生氏郷の一斉攻撃 その1

   蒲生軍は、8月25日に九戸城に対して総攻撃を開始した。敵がひるむところを、七戸家国と櫛引清長が一斉攻撃し270名以上の死者を出し、蒲生軍は後退せざるを得なかった。(九戸争乱記)

  (2)濠の切り崩し作戦

  (3)蒲生軍への報復―50人の決死の抜刀隊を編成

  (4)ハタフク作戦(米籾糠作戦)

  (5)蒲生氏郷の一斉攻撃 その2

   氏郷は全軍に対して「いざ、この一斉攻撃を以って九戸政実を討ち果たせ」と強い攻撃命令を発するが、城内の守備固く九戸軍に追い返される。また、三戸の南部信直軍もかなわず退却。

   ・軍監浅野長政の命令

  (6)討伐軍のダマシ討ち

  (7)政実の判断

    なぜ政実は和議を受け入れたのか

 
11.政実に対する評価

   「戦い終わって約400年後の今日において、残された少ない資料の中、立派な武将であったと褒め称えているということは、政実の人格を高く評価している人が多くいるということである」


               

~永井正義氏・資料より~


※ 参考文献「南部の系図」「南部根元記」「内史略」「九戸争乱記」「九戸村史」「福岡の歴史」「南部史要」「奥南旧指録」「天正南部軍記」「九戸記」「東奥軍記」「九戸軍記」


第2部:鼎談 

・永井正義氏(元二戸市立歴史民俗資料館運営委員長)

       
         ・宮  忠氏(九戸村郷友会会長・元小学校校長)

         九戸村の主な史跡と、政実の子孫についての報告など

       
         ・石丸文隆氏(政実重臣櫛引氏について調査・元小学校校長)
          政実の家臣であった櫛引氏についての報告・発表

       
        ・島守正典氏(八戸テレビ放送社長・島守安芸を偲ぶ会副会長)

        同じく政実の家臣であった島守安芸についての報告。

            
※進行 畑中美鈴(八戸自由大学代表)