演題
「石田家と村さん~村次郎からおそわったもの」

講師
阿部幹氏(元小学校教員)

講師略歴  1934年八戸市鮫町生まれ。53年県立八戸高校卒業、小学校教員となる。教員生活後半の18年間特別支援学級担任。「けなげに、そしてけんめいに生きるその姿に、人間のあるべき姿を教わる」。90年、55歳で退職。以後、創作生活。作家、左館秀之助氏の(創作は)裸になって恥をかくこと」、詩人の村次郎氏の「書いだからって作品になるのでないんだぇ」が創作上の座右の銘。同じ郷土の詩人、中寒二との交遊は長く、創作姿勢に敬意を表している。

※ 村次郎氏とは
詩人・村次郎は、1916(大正5)年、 三戸郡鮫村(現・八戸市鮫町)の石田家旅館の長男として生まれた。慶應義塾大学でフランス文学を学び、詩誌「山の樹」を中心に作品を発表。中村真一郎や芥川比呂志、小山正孝らとともに活躍し、将来を嘱望された。

  戦後、応召先の中国から八戸に帰還、「あのなっす・そさえて」を設立して郷里の文芸復興に努めました。詩集『忘魚の歌』(昭和22年)『風の歌』(昭和23年)を刊行したが、昭和27年、実家・石田家旅館の再建のため、家業に専念し、文学活動から離脱することを決意。

  しかし、その後も県内外の文学者・文化人の尊敬を集め、棟方志功や草野心平との親交はよく知られている。また、夏堀正元や三浦哲郎をはじめ、郷土ゆかりの作家にも大きな影響を与えた。

  郷里の自然と風物を愛した村次郎は、文学にとどまらず、言語学、民俗学、大須賀海岸の自然調査、漁業など、幅広い分野に造詣が深く、生涯にわたって調査研究を続けた。平成23年、全詩集刊行という大きな節目にあたる。(青森県立文学館より)

※ 左館秀之助氏とは
小説家。1924年(大正13年)八戸市生まれ。青森師範学校卒業後、教員となる。「たづな抄」で第1回東奥小説賞。「鳥ぐるい」で第11回講談倶楽部賞。その外オール新人杯、直木賞候補。第5回青森県芸術文化褒賞。第9回デーリー東北賞

講演より抜粋

村次郎さんとの交遊エピソードの紹介が中心。他に詩人である中寒二氏が同人誌の編集後記で村次郎に関する幾つかの文章を書いているのを紹介。「表現派124」(平成14年)では、『村さんにお会いするには、鮫町の「まるまん書店」(現在の今泉八戸店)に行けばよかった。昼から午後三時頃まではそこで立ち読みしているからである。村氏にとってそこは新刊書の読書の場であり、蔵書外の思考の場であった』。「表現派114」(平成9年)では、『六月のはじめ頃、体調を崩していた村さんを見舞ったとき、私たちは付き添いの妹さんたちと何の気なしに種差海岸の花の美しさについて談論していたのに、村さんは「なぜそんなに話をしているのか」とか、「花のことは言うな」としきりに言われるのであった。私たちははやくよくなって海辺を歩かれるようになれと言うつもりでいたが、村さんにしてみれば、「花」とか「植物」とか「美しい」とか「きたない」とか、べらべらと通俗的に言われることに腹をたてているらしかった。花の至高を傷つけられることがいやだったのかと私は思った。これも十五、六年前のことになるが、詩について議論しているときに、「詩はどうして人間を書くのがよくて植物を書くのはだめなのか」と言われたことがある。私は村さんの詩の本質の前に立って狼狽した。かぎりなく熟成した贅沢な問いであった』