八戸自由大学第10回講座より抜粋

講座名
「永嶋暢子・本名”よね”について」
~郷土出身女性解放運動先駆者~

講師・岩織政美氏(元八戸市議会議員)

岩織政美氏略歴・1935年、八戸市湊町生まれ。1951年、日東化学工業(株)八戸工場入社・私立日東高校卒業。1958年、日本共産党入党。1979年、八戸市市議会当選(6期)。現在、日本国民救援会八戸支部長。八戸医療生協顧問。町畑塾塾長。著書・編書に「永嶋暢子の生涯」「永嶋暢子著作集」「湊トンネル・浜の街」「海の賛歌・浜の風」「啄木と教師堀田秀子」「永嶋暢子と周縁」など。

講座より抜粋

永嶋暢子とは
本名は永嶋ヨネ。明治30年、三戸郡北川村(現・名川町)剣吉の酒造業の六女として生まれる。剣吉小学校を経て大正3年に県立実科高等女学校(現・八戸東高校)を卒業し、同年上京する。大正9年、男女の機会均等などを唱える全国的規模の市民婦人団体「新婦人協会」(理事・平塚らいてう、市川房枝ら)に参加。以後「東京連合婦人会」「関東婦人同盟」「解放運動犠牲者救援会」(後の国際赤色救援会)「日本労働組合全国協議会」などで活躍する。昭和3年、長谷川時雨主宰の『女人藝術』で「社会時評」を執筆。これが治安維持法違反に問われる。昭和13年、満州に渡り「協和会」等で働く。終戦直後、日本人の難民孤児の世話にあたるが、昭和22年、49歳で亡くなる。

郷土出身の女性解放運動先駆者 「48歳11カ月と12日」の短い生涯。大慈寺に眠る。

1・女性史に刻まれた「永嶋暢子」
「きたおうう人物伝」「いのちとくらし」(青森県女性史)、「日本女性人名辞典」「日本女性運動史人名辞典」

2・永嶋暢子の「特質」
○南部女性の芯の強さと謙虚さ。
○貧しく、弱い者への支援(関東大震災の被災者救援。常磐炭鉱女性鉱夫調査。繊維女工のたたかい支援。満州・新京での戦災孤児救護)
○文才を駆使した『女人藝術』誌の「社会時評」の鋭さ
○大正末、昭和初期の婦人運動に率先参加(平塚らいてう、市川房枝、野坂竜らと)

3・非合法(治安維持法)の活動(「検束・数十回の闘士」と「国民新聞」に記事

4・日常生活の姿から
○地下活動の下での貧しい日々~「湯豆腐」のご馳走
○南部菊の味噌汁
○よく口ずさんだ童謡「里ごころ」(北原白秋)
○永嶋暢子はマルキストとして多くの文献を読み、思想水準は高かった。

5・永嶋家のこと
○実家 剣吉の「熊七屋」(陸奥酒造合資会社)
○本家 「熊嘉」(呉服・木綿商で大店 「多志奈美草」に泉山吉平(泉山銀行)、美濃屋(福井酒造)、大岡長兵衛らを引き立てたと書いてある。
○「熊七屋」は昭和9年に破産。そして永嶋暢子の非合法活動もこのとしで終焉。また共産党はじめ社会変革を求める活動もすべて絶えた。
「羽仁もと子」「永嶋暢子」はともに郷土出身者として、首都東京を中心に最先端で戦った女性として誇ってもよい存在。(第2回に続く)