八戸自由大学第12回講座より抜粋

講座名
「永嶋暢子・本名”よね”について」 ~その2~
~郷土出身女性解放運動先駆者~

講師・岩織政美氏(元八戸市議会議員)

岩織政美氏略歴・1935年、八戸市湊町生まれ。1951年、日東化学工業(株)八戸工場入社・私立日東高校卒業。1958年、日本共産党入党。1979年、八戸市市議会当選(6期)。現在、日本国民救援会八戸支部長。八戸医療生協顧問。町畑塾塾長。著書・編書に「永嶋暢子の生涯」「永嶋暢子著作集」「湊トンネル・浜の街」「海の賛歌・浜の風」「啄木と教師堀田秀子」「永嶋暢子と周縁」など。

講座より抜粋

○八戸高等女学校(現・八戸東高校)時代、青森では初となる「安藤昌益」の講演会(講師・平野周造)が催される。このとき安藤昌益の説に多少とも影響を受ける。

○河上肇博士への公開質問状

○「日常生活」の姿から
○地下活動の下での貧しい日々~「湯豆腐」のご馳走
○南部菊の味噌汁
○よく口ずさんだ童謡「里ごころ」(北原白秋)
○永嶋暢子はマルキストとして多くの文献を読み、思想水準は高かった。

○満州(新京)での永嶋暢子
終生の友人・八木秋子との再会
「月間満州」「鐵工満州」編集、「満州国協和會」首都本部勤務
満州憲兵隊による留置(48日間)
ソ連軍侵攻と戦災孤児収容
チフス感染と青酸カリ自殺
※「満州国協和会」とは、満州国における官民一体の国民教化組織。石原莞爾らにより将来の一党独裁制を担う組織としても期待され、後に日本の大政翼賛会以下の各組織の民衆組織化に影響を与えたとされる。

○永嶋家のこと
○実家 剣吉の「熊七屋」(陸奥酒造合資会社)
○本家 「熊嘉」(呉服・木綿商で大店 「多志奈美草」に泉山吉平(泉山銀行)、美濃屋(福井酒造)、大岡長兵衛らを引き立てたと書いてある。
○「熊七屋」は昭和9年に破産。そして永嶋暢子の非合法活動もこのとしで終焉。また共産党はじめ社会変革を求める活動もすべて絶えた。

まとめ
つねに弱者、貧困、虐げられたものへの支援を怠らなかった。全国的な婦人解放運動のなかでも、マルキストとしての実践と啓蒙活は傑出していた。「羽仁もと子」「永嶋暢子」はともに郷土出身者として、首都東京を中心に最先端で戦った女性として誇ってもよい存在。