八戸の経済、なぜ、なぜ、あれこれ

 

平成26年度八戸自由大学第3回講座より抜粋

講師・高橋俊行氏(八戸学院短期大学ライフデザイン学科教授  八戸地域社会研究会会長)

演題 「八戸の経済、なぜ、なぜ あれこれ・・・?」  
    なぜ八戸に、アベノミクス効果ってないの?
    八戸の経済って、どうして発展してきたの?
    南部人と津軽人の気質は、どう違うの?

高橋俊行氏略歴  立教大学経済学部経済学科卒業。1992年八戸信用金庫小中野支店長、根城支店長を経て、同信用金庫理事・営業推進部長、営業本部長、はちしん地域経済研究所所長を歴任。その後、八戸テレビ放送顧問・営業部長。吉田産業協同組合理事。八戸短期大学ライフデザイン学科教授、八戸短期大学総合研究所副所長。

昭和519月に「はちしん経済レポート」(現青い森信金とれんど情報)を発刊するなど地元の信用金庫時代に培っ経済産業の調査活動の経験を踏まえ、東北新幹線八戸駅開業の経済効果や八戸港舘鼻岸壁みなと日曜朝市、冬季国体の経済効果、八戸漁連30年史など、地域の現状分析や成長産業の研究調査に携わっている。また、営業推進本部長時代のマーケティング活動の実践ノウハウを生かし、地域における人的ネットワークと東経連ビジネスセンターなどの東北地区の産業技術のネットワークを活用しながら、地域の中小企業の経営ノイノベーシンの支援と若手経営者の人材育成と地域経済の再生に貢献する。


講座から抜粋

図表の説明と解説(デフレスパイラルとリフレ効果。金融量的緩和とお金の流れ。日銀の量的緩和清作の仕組みと効果。マネー・物価・給与の動向比較。八戸地域経済の現状。八戸市の雇用状況。八戸市の路線価格。八戸市内大型小売店売り上げの推移。八戸地域経済の構造変化など)

「景気は浜に聞け」 昭和五十年代、八戸の総生産額の42%を水産関連産業が占めていた(漁業、造船業、水産加工、冷蔵庫、魚函、製氷業、味噌、醤油、塩、運送業、船舶内燃機)。

「高度成長を支えた二つの銀行  太平洋銀行とニッポン銀行」 太平洋銀行とは、親潮、黒潮の潮境で形成される三陸沖の好魚場と、道東からロシア・千島沖にかけての北洋漁業に恵まれる。サケ、マス、イワシ、イカ、サバ、スケトウダラなど、年間約80万トンの漁獲があった。しかし昭和52年の200カイリの到来、オイルショックなどが漁業を直撃、平成に入ってからは漁獲高、水産関連産業は衰退の一途を辿る。 
ニッポン銀行とは、公共投資による資金のこと。昭和39年に八戸市が新産業都市に指定され、それに伴う事業資金8327億円が昭和60年度まで投下。それにより道路、港湾などの工業基盤が形成された。

藩政時代の経済
財政収支は常に赤字。原因は①農民の零細性(百姓の平均石高は6石、約4万円だが、実際は平均3石斗。②凶作・飢饉(天明3年〈1783〉6万数千人の人口のうち3万人の餓死者。4年連続。天保の飢饉〈1832〉は7年連続。③参勤交代制(江戸まで16日間。188名(士43名)の旅費が重い負担となる。④商業経済(年貢米をお金に換えるさい、商人に買い叩かれる)。その他、商人からの借り入れ、新税・増税、貸し上げ(俸禄の削減)、商人に対する強制的な献金、倹約令など。殿中の暮らしぶりも悲惨だった。殿中の雨漏りを防ぐ手立てはなく、諸士の宿直に点灯せず、江戸勤番の帰国旅費もないという有様だった。

藩政改革
文政2年(1819) 信真(8代目)・野村(軍記)体制
①商業資本に対する弾圧(特権商人を排除)。豪商の七崎屋半兵衛に1万両の即納を命じ、断ると取り潰した。②専売制度の断行(大豆・イワシ・鉄・馬などの独占的買い上げと販売) 国産品の強制買い上げ・江戸に移出・江戸藩邸の費用に充当。藩船を建造し千石船で江戸、大阪に移出。総支配人は西町屋。③預切手(紙幣)の発行(西町屋と美濃屋に発行させる)。天保5年(1834)1万人の百姓一揆で野村記は失脚。

八戸の工業の歴史的変遷
①特産品型工業時代  イ・糠部時代(平安~鎌倉)駿馬の馬具 ロ・南部藩時代(藩による独占事業で産業は育たなかった) ハ・明治~大正前期 木炭、織機工場(西村喜助)
②資源立地型工業時代(大正後期~昭和38年)大正2年「東北振興会」発足(内務大臣・原敬が東北の産業を振興する目的で設立)。同8年 同上委員会の根津嘉一郎が日の出セメント(住友セメント)設立。昭和12年 日東化学(硫安)、東北電化工業(日本砂鉄鋼業)。同21年 合同酒精(アルコール)。同26年 高周波鋳造(砂鉄)。同32年太平洋金属(ニッケル・マンガン)。
③臨海型工業時代(昭和39年新産業都市指定~昭和50年)パルプ、チップ、鉄鉱石、亜鉛鉱、鉄くず、とうもろこしなど、原料を海外から船で調達し、製品を船や貨車で輸出する工業生産体制。三菱製紙、八戸製錬、北日本造船、東京鉄鋼、東北グレーンターミナル(配合飼料)など。
しかし昭和55年から61年にかけて構造不況が起こる。二度のオイルショックにより産業構造は「重厚長大」から「軽薄短小」に。住友セメント八戸工場、東北砂鉄が閉鎖。八戸市は「特定不況地域」に指定される。
④高度技術先端型工業都市(昭和60年~平成5年) 素材産業から脱却し、ハイテク産業への転換
(財)八戸地域高度技術振興センター設立。テレトピア構想のモデル都市指定。ハイテクパーク完成。八戸インテリジェントプラザ完成。八戸地方拠点都市地域指定
⑤国際港湾物流拠点都市(平成5年~平成10年) 経済のグローバル化に対応
各国都市の貿易港との協定、航路の開設

事業のライフサイクルと第二の創業
外部環境の変化を的確に見極めながら、既存事業の強い経営資源を活かし、自社にとって有望と思われる新たな関連事業に軸足を移していく。すなわち「有効な経営資源があるうちに、経営環境の変化にチャンスを見出し、成熟産業から成長産業に転換する」