八戸自由大学平成26年第9回講座

 
平成26年度八戸自由大学第9回講座より抜粋
 
演題 「八戸の個性を考える」
     ~三田藤吾(教育者)と小井川潤次郎(郷土史家)の軌跡~
 
講師 江刺家均(えさしか ひとし)氏(郷土史家)
 
講師略歴  昭和24年青森県生まれ。昭和35年、上杉修氏(郷土史家)に師事。同47年二松学舎大学文学部国文学科卒業。雑誌編集者、八戸準看護学院、予備校、野辺地工業高校、光星学院、八戸調理師専門学校講師などを務める。平成5年、青森県芸術文化奨励賞、八戸市文化奨励賞授賞。現在、郷土歴史講座・はちのへふるさと塾主宰。はちのへ歴史探訪倶楽部代表。はちのへ郷土研究会会長。青森県いたこ巫技伝承保存協議会会長。長嶋暢子を偲ぶ会副会長など多数活躍。著書・共著に「日本消費組合小史」「写真で見る八戸の戦後」「絵で見る南部八百年史」「八戸の旅・ふるさと歴史散歩」「最後のイタコ」など多数。
 
はじめに
八戸の近代化において「八戸らしさ、八戸の個性」を発見した二人の先駆者、三田藤吾と小井川潤次郎。小井川は歴史・伝統・生活の面で八戸の特色特徴をいち早く見出しました。一方の三田藤吾は近代スポーツの伝播のなかで,気候風土が国内でも稀有な『氷都』であることを発見。大正14年(1924)年「八戸スケート協会」を設立し、スケート王国八戸の礎を築きました。この先駆者二人の経由を振り返ります。
 
三田藤吾について
三田に関してはほとんど資料らしい資料は見当たらなかった。僅かに『明治14年(1881)生まれ。スケートを普及させた教育者。岩手県稗貫郡八重畑村出身。大正9年(1920)から昭和5年(1930)まで八戸高女(現八戸東高校)校長。同校の各種スポーツを奨励し全盛時代を築く。体育にズックスケートなどを取り入れ、勘太郎堤でのスケート大会を開催する。大正15年(1926)八戸スケート協会を設立、会長に就任。昭和5年の第1回全日本スピードスケート選手権大会の誘致者となる』とだけ書かれた資料があるだけである。
 
教育者としての三田は、当時として珍しく、校長室の席を暖めることなく、常に生徒のそばにいて様々な教えと育て方をしていたと考えられる。それは大正という時代も影響している。大正デモクラシー、モダニズムなど、社会に自由な風が吹き、平塚らいてう、市川房枝など新しい女性も登場し、文学、演劇、絵画、音楽、教育の各分野で新しい流れが築かれた。男女平等の社会到来をいち早く予感した人物かも知れない。
 
三田はスポーツとしてのスケートとしてではなく、健康・体育の一環としてスケートを授業に取り込んだ。 冬になると八戸は凍てつく寒さとなり、外における冬季の体育授業は難しくなる。そこで市内に点在する自然のスケートリンク、堤に目をつけ、ここでスポーツと娯楽を兼ねたつつ、スケートを健康・体力つくりに応用したと思われる。女子生徒たちが楽しむ姿に、市民も関心を示し、次第にそして自然に八戸にスケートが普及していったのではなかろうか。
 
三田のこうした新しい教育観はどこで養われたのか。当時としは自由教育の代名詞となったのが信州(信濃教育)であることから、それと関係の深かった早稲田大学か、いち早くスケートを楽しんでいた明治大学、そのいずれかではなかろうか。
ともあれ、八戸の自然風土に着目し、天然のスケートリンクを上手く利用し、さらにスケートを体育・健康に取り入れた三田の慧眼は大したものであり、『氷都』と呼ばれる礎を築いたことに敬意を表したい。そして三田に関する資料・史料があまりにも少ないのは残念のきわみである。ともすれば人は井戸の水の有難さには感謝するものの「井戸を掘った人」のことは忘れがちである。三田はもっと注目されていい人物である。
 
 
小井川潤次郎とは
 
 八戸の十六日町に生まれた潤次郎は、八戸尋常高等小学校から県立第二中学校、青森師範学校本科第二部に進み、明治42年(1909)に卒業した。小学校に勤務する傍ら、郷土史や民俗学に興味を持ち、柳田國男の民俗学に共鳴し、大正4年(1915)に八戸郷土研究会を創設した。『奥南新報』を発表の場とし、廃刊後は謄写版刷りの冊子『いたどり』などを発表誌とした。

 他に、『八戸郷土叢書』など数多くの著書を残している。特に、「おしらさま」、「えんぶり」などの研究で知られる。また、郷土の自然をこよなく愛した潤次郎は、昭和12年の種差海岸や、16年の根城跡、32年の是川遺跡の国指定に尽力した。

 昭和26年(1951)、柳田國男の古稀記念論文集に「オシラ様の鈴の音」を執筆し、翌27年に日本民俗学会名誉会員に推薦された。青森県文化財専門委員、八戸市史編纂委員、根城史跡保存会長などを歴任し、これらの功績により、昭和30年に第8回東奥賞、昭和41年には第8回県文化賞を受賞している。

八戸らしさ、地域性・個性発掘者としての小井川潤次郎(講座資料より抜粋

多岐にわたる活動のなかで、小井川の行為を特色づける最大のものは何であっただろう。多くの場合、「民俗学・郷土研究」を挙げるが、この「民俗学・郷土研究」という言葉に小井川のすべての行跡を閉じ込めてはならない、とも考えている。青森県史民俗編・南部の「民俗研究のあゆみ」では、〈小井川潤次郎は気骨の人であった。柳田國男は「孤高の人」とも評したといわれるが、弟子であった音喜多富寿も新聞の追悼文に「孤高と反骨の人」と評している。中央におもねることなく、地方にあってひたすら郷土研究に邁進する姿がそうした評価となったのであろう。小井川潤次郎の研究対象は多方面に及び、文筆の内容も多様である。民俗学的な内容で全国的に注目された論考なども数多い。小井川の主要な業績を一、二点に絞り込むのは至難である〉と、もっぱら民俗学、郷土研究の世界において詳細に検証を試みたのは評価される。

八戸市で出している観光案内を見ると、種差海岸・蕪島・三社大祭・八戸えんぶり・史跡根城・清水寺観音堂・是川遺跡・櫛引八幡宮と国宝・八幡馬・南部菱刺・裂織などの八戸地方を特徴づける数々のものが並んでいる。この一つ一つにいずれも小井川が関わっていたといっても過言ではないのである。生涯を通じての膨大な量の著作と郷土研究の成果は、八戸が他の地域と異なった「八戸らしさ、八戸地域の個性」の発掘にあったのが、小井川の最大の業績であったといってもよい。小井川の言葉では「この土地の、その成り立ち、この土地らしさ」の発掘であり、まず小井川の最大の業績として挙げられるべきは「八戸の個性発掘」の恩人としての行動と行跡であろう。