畑中美鈴の自在定規

 
                               わらし
短編小説「リンクの童子」 No1

作 畑中美鈴












なぜここにやってきたのか、不思議だった。

八戸駅で下車、すぐに市内のホテルに向かうつもりだったのに、
何者かが手招きするように感じた。
気がつけば、長根スケートリンクに佇んでいる。二十五年ぶりだ。

「なにも変わっていない、ここ・・・」。

しんしんと降る雪の中、友華は呟いた。まるで天から舞い降りた使者のようなその雪は友華に子どもの頃の記憶を蘇えらせた。

 

小学校四年生の夏、父の転勤で八戸にやってきた。市とはいっても、今まで暮らしてきた横浜とは比べものにならない田舎の町だ。南部弁は、まるで外国語のような響きで、コミュニケーションがなかなか成り立たない。標準語を話す友華は、ここでは奇異な存在だった。一週間も経たないうちに友華は、「横浜に帰りたい」と両親を困らせた。

やがて冬になり、学校は『冬の体育大会』の話題でもちきりだった。長根スケートリンクを借り切って、学年ごとに、各種のスケート競技を争うのだ。各種目の上位入賞者には、成績に応じてノートや鉛筆、サインペンなどの賞品が与えられる。

友華のクラスでも体育大会に向けて、各競技に参加する選手選びが始まった。そして最後に、先生から『クラス対抗リレー』についての説明があった。この競技は、クラス全員が参加し、タイムを競うというものだ。いわばチームワークが試される競技である。

「今年はウチのクラス、絶望的。最下位決定だな! ヨチヨチ歩きがいるからなぁ」。

友華を横目で見ながら、こう言い放ったのは、『悟空』というあだ名の男の子だった。どことなく猿を思わせる風貌で、運動神経がとても発達し、スケートも大人顔負けの滑りをする少年だ。彼の一言で教室はシーンとなった。友華は恥ずかしくて下を向いたままだった。スケート靴を履くのは初めてである。リンクでは滑るどころか、立つことも出来ない。二歩、三歩と歩いては転ぶ。そんな友華の姿を見て同級生たちは「ヨチヨチ歩きの友華ちゃん」と呼んだ。

 

翌日から友華は長根スケートリンクに通い始めた。街中とは言え、頬を刺す風は冷たく都会育ちの友華には耐えられなかった。初めて体験する北国の冬の厳しさは、友華をとても心細くさせた。たった独りで練習しながら、友華は心の中で叫んだ。

「ヨチヨチ歩きなんかじゃない。ちゃんと滑れるっていうことを見せてやるんだから」。

しかし一週間経っても、一向に上達しない。小さな子どもが、上手な滑りで友華のそばをすり抜けていくたびに、泣きたくなった。何度も転び、濡れてびしょびしょになったズボンは、より一層友華を惨めにさせた。体育大会は五日後に迫っている。

「もう限界。誰か助けて」。泣きそうになった友華の肩越しから男の子の声がした。

「もうちょっとで上手に滑れるぞ」。

後ろを振り向くと、古ぼけた服装を身にまとい、鼻の頭を真っ赤にした少年がいた。黒のニット帽、大柄のチャンチャンコとその下には毛羽立った青いセーター、そして摺れた太い黒のズボンには、ところどころ穴があき、スケート靴も写真で見たことのある旧式のものだった。

「あの~、キミは誰?」。

友華と同じか、あるいは年下かもしれない。

「誰でもいいよ。それよりさっさと立って」。

少年は友華の手を取り、立ち上がらせると、自分の手を友華に摑ませた。

「オレと一緒にゆっくり滑ってみるべ(・)」。

冷えきった少年の手にひかれ、滑ってみる。するとリンクの景色が今までとはまるで違って見えた。風景があっという間に友華のそばを通り過ぎていく。

「これが滑るっていうことだよ」。

スケート靴が勝手に友華を運んでいく。少年の滑りに倣い、右・左・右・左と体重を乗せながら夢中で滑った。

「明日はもっと上手になるはずだ、せばな(・・・)」。

そう言うと少年はさっさと帰り支度をした。友華も急いでスケート靴を片付け、少年に礼を言おうとしたが、その姿はもうなかった。

 

翌日も、翌々日も友華は少年から滑り方を教わった。すでに「ヨチヨチ歩き」の友華の姿はなかった。わずか三日しか経ってないのに、コーナリングもスムーズにできるようになっていた。

「友華ちゃん、もともと運動神経はいいほうだね。もう小さな子どもにも負けないよ!」。

「コーチのおかげよ。ほんとにありがとう」。

「コーチ? オレがか?」。

照れくさそうにはにかむ少年。それにつられて友華も微笑んだ。

「スケートだけじゃないよ。一生懸命頑張っている人には、いつか誰かが手を差し延べてくれるものだって。それを忘れるな」。

友華がリンクを一周して戻ってきたときには、すでに少年の姿はなかった。それから毎日のようにリンクに通い、少年の姿を探したが、見つけることはできなかった。体育大会のクラス対抗リレーは、友華のクラスが優勝した。クラスの誰もが友華の滑りが優勝をもたらしたことを認めた。親しい友だちもできた。そして小学校卒業と同時に、友華は横浜へ帰ることになった。八戸を去る日、駅のホームで少年を探したが、その姿を見つけることはできなかった。以来、友華はスケート靴を履くことはなかった。 (続く)